2012年3月22日木曜日

日刊デジクリ[#3231] 家族にとって「ちょうど良い家」

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.3231    2012/03/22.Thu.14:00.発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 10039部
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         《もう、運命としか言えないでしょう》

■買物王子の家づくり[24]
 家族にとって「ちょうど良い家」
 石原 強

■ショート・ストーリーのKUNI[114]
 今夜はカレーよ
 ヤマシタクニコ

■ローマでMANGA[50]
 糸は「ちばてつや」だった
 midori

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■買物王子の家づくり[24]
家族にとって「ちょうど良い家」

石原 強
< http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20120322140300.html >
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工事もひととおり完了して、2010年からスタートした家づくりも約2年を経て
終了です。家づくりの最中は、人生に一度きりの一番大きな買い物と意気込ん
でいたので、なんだか気が抜けました。相当に肩に力が入っていたと思います。

●二人の息子は「階段」がお気に入り。

新しい家が家族の生活の場所として定着してきたように感じます。息子たちは
特に階段がお気に入りです。長男カケルは、階段に座って絵本を読んだり、お
もちゃを並べたりして遊んでいます。「隙間からモノを落とすと危ない」と何
度注意しても聞きません。それを見ている次男ワタルも階段を登りたがって、
フェンスに掴まって「開けて」と大騒ぎします。

これまでも、お風呂が好きだった二人ですが、新しい家のお風呂になったら、
親が上がってからも、いつまでも入っていて出てこなくなってしまいました。
広くて親子三人で入っても大丈夫。湯船の中でに腰かけるための段があるので、
まだ小さいワタルでもそこに座るとお湯が多くても大丈夫。一人で出入りでき
るようにもなりました。

未だ部屋は片付いていない。散らかっているくらいが、自分の家らしいと強が
ってみるけど、やっぱりスッキリと暮らしたい。そのためにはやはりモノが多
すぎることが問題なので、さらに処分をすることを決心しました。実行までは
時間がかかりそうですけど、せめてこれ以上増やさないようにしよう。

細かいところは改善の余地がある。収納を増やすために棚を加えたい、雨が降
るとベランダがびしょ濡れになるのでデッキをひきたい、小さい庭だけど緑を
植えたい、あげ始めたら切りがない程、手を加えたいところはある。それはゆ
っくり足して行くつもりです。

●終わってしまうのも寂しい「家づくり」

仕事ではずっと他人の為にモノ作りをしてきましたが、自分のお金で、自分の
ためのモノ作りを依頼したのは始めての経験でした。

きっかけは、二人目が生まれて、住んでいるマンションが手狭になったことで
した。毎日窮屈な感じがして、住まいを変えれば何かがかわるという期待感で
した。でも家を探し始めたら、比較するにも条件が複雑で、目眩を覚えました。
そして自分達の条件に合うものが、本当に見つかるのか不安になったこともあ
りました。

建築家から提案されるプランは、土地の制約をかいくぐった見事なもので驚か
されました。プランが固まった後は、モノ作り、もの選びの楽しさがありまし
た。プランも都度細かく修正を入れました。建て始めてからは、できるだけ現
場に足を運びました。最後は毎日通ってました。

家づくりの間にいろんなことを学びました。後で役に立つからということでは
なくて、純粋に好奇心で一杯でした。いろんなものを新しい事を見たり聞いた
りして考えたり発見があったりと刺激的だったので、もう終わりだと思うと、
ちょっと寂しい気分でもあります。

●「心地よい生活」を実現した家

家づくりとは、自分達の「心地よい生活」とはどんなものかを考えて、それを
実現するプロセスだった気がします。

家づくりも最初は手探りでした。他の人の話をきいたり、本を読んだりしまし
た。要望もいろいろあってなかなか絞り込めませんでした。様々な制限がある
ので、すべての願いを叶えることはできません。欲しい条件の中でも、比べた
らこれは我慢してもいい、なくても大丈夫という事も沢山ありました。

自分達に本当に必要なものを選んで、同時に不必要なものをバッサリと切り落
とすことが大事なのだと気がつきました。それからは、特別にデザインがカッ
コいいとか、豪華で自慢できるとかそういうことではなく、家族にとって「ち
ょうど良い家」にすることを目指しました。

おかげで自分たちが居心地がいい家ができました。サイズが小さすぎず、大き
すぎない。オープンすぎず、閉じてもいない。家族の気配が感じられるなにも
かもがです。今のところ不満な点は見つかりません。でもこの家は、他の人に
とっても心地良いのかと問われると、そうではないと答えます。

家に友人を招待したら、リビングに入って「なんでこんなに天井高いの? も
う一部屋作った方が良かったんじゃない?」と言われました。確かに天井が高
いことなんて生活には何の役にも立たないんだけど、その無駄を気に入ってい
るのです。

「自分の城ができましたね」と声をかけてくれる人もいます。意味が異なるこ
とを承知で言うと「城」っていう言葉からは、動かない頑丈な感じがするので、
ちょっと違和感があります。そんな堅苦しいものではなくて、着心地の良い服
を仕立てた感じです。

生活に必須の「衣食住」という三要素の中でも「住」は自由がきかないと思っ
て距離がありました。与えられた環境を受け入れるしかない。それが家づくり
を通して身近に感じるようになりました。

最後に、当たり前ですが家は一人では作れません。Boo-Hoo-Woo.comのオカザ
キさん、ミヤケさん、建築家のフルヤさん、工務店のオオハラさん、ほかにも
本当に沢山の人の手で出来上がりました。名前を知らない、顔も合わせなかっ
た人だっています。家づくりに関わってくれた全員に感謝します。

【いしはら・つよし】tsuyoshi@muddler.jp
twitter < http://twitter.com/244ishi >
Webmanagement < http://webmanagement.jp/ >
Shopping Prince blog < http://www.muddler.jp/ >

家づくりに一年間おつきあいいただきありがとうございました。今回でこの連
載は終了します。また新しいテーマを探して戻ってこようと思ってますので、
そのときはまたよろしくお願いします。

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■ショート・ストーリーのKUNI[114]
今夜はカレーよ

ヤマシタクニコ
< http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20120322140200.html >
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今日のママはカメレオンだった。

ぼくたちのママは料理があまり得意じゃない。だけど、カレーだけは、とびっ
きりおいしい。

「今夜はカレーよ」
ママがそう言うとぼくたちーーぼくと双子の弟、サトルーーはとびあがって喜
ぶ。早く食べたくて、わくわくして、できあがるまで待っていられない。タイ
ムマシンでカレーのできあがった瞬間にジャンプしたいくらいだ。

でも、ママはいつも言う。
「これからカレーを作るから、その間、絶対のぞかないでね」
そして、キッチンのドアをぴったり閉めてしまう。真夏だろうといつだろうと。
そう言われたら、だれだって、かえって見たくなるものだ。いや、ちがう。そ
うじゃない。

ぼくたちはドアのすき間から漂ってくるにおいに誘われ、いつのまにか、自分
でも気づかないうちにキッチンの前にいる。そして、すきまからそっとのぞか
ずにはいられないのだ。

「見える?」
「見えるよ、ほら」
「ああ・・・ほんとだ」

ママはぼくたちが見ているとも知らず、調理台に向かい、すり鉢になにかを入
れてごりごりとつぶしていた。ママは、最初、悲しそうだった。眉根にしわを
寄せ、口元はかたく結び、目を見開いて。ごりごり、ごりごり。その手にどん
どん力が加わるようだ。

「いつもと同じだ」
「ママが変身し始めた!」

ママの目はどんどん大きくふくれあがり、飛び出してくる。背は盛り上がり、
顔つきがけわしくなり、息づかいが荒くなり、結んでいた口元はいつのまにか
だらんとたれさがる。

その口からちろちろと舌の先がのぞく。と思うと、その舌がひゅっ! とのび
て、1メートルほども離れたところにあったスプーンを一瞬でつかんだ。ぼく
たちはおどろき、声をあげないようにするのがひと苦労だった。

「今日のママは……」
「カメレオン?!」

そのとき、緑色の皮膚に包まれた片目をこちらに向け、もう片方の目はすり鉢
に向けたまま、ママがにたりと笑った、ような気がした。ぼくたちはぎゃーっ
と叫びーーそれでも必死で声を殺すことは忘れなかったーードアの前から転が
るように走り去った。

それから数時間後、できあがったカレーはものすごくおいしかった。スプーン
で口に運ぶひとさじひとさじがおいしさのかたまりだった。ぼくたちふたりは
顔を見合わせ、うなずきあった。

「ママのカレーは最高だな!」
「カメレオンのママでもな!」
もちろん、そんなことは口には出さなかったけど。

最初にママのカレー作りをのぞいたときのことを、今でも覚えている。ぼくた
ちは今より小さかった。だから、ママは「ぜったいに、ぜったいに、このドア
をあけては、だめよ」と、何度もくりかえし言った。

もちろんぼくたちは約束した。
そして、約束を破った。
「サトル」
「なんだい、マモル」
「見たいなあ」
「うん、見たい」

そっとドアに近づき、すき間からのぞくと、ママは今日と同じように、調理台
の上でスパイスと格闘していた。ぼくたちはただ、大好きなママがカレーを作
っているところが見たかっただけだった。ママは、ごりごりと音をさせながら、
もともと眉が下がり気味で、そのせいで悲しげに見える顔をいっそう悲しげに
見せていた。

そのうち、ママはどんどん、われを忘れてカレー作りに没入していった。目は
焦点を結ばず、体は硬直し始めた。大量の汗をかいているようだ。ぼくたちは、
ママの具合が悪くなったのだと思った。

キッチンに入っていって、ママ、どうしたの?! と言おうとして、でも、決
してのぞいてはいけないと言われたことを思い出し、ものすごく困って、困っ
て、どうしていいかわからなくなった。

ぼくもサトルも、ドアの前でへたりこんでしくしくと涙を流し始めたとき、マ
マの背中がめきめきと盛り上がって翼がはえ、口がとがって、体中が羽根でお
おわれはじめた。すり鉢の前にいるママはみるみる大きな一羽の鳥となり、背
中の翼はいまにも飛んでいきそうにはばたきを始め、キッチンの空気を揺らせ
た。本当なんだ。

だって、そのとき起こった風で天井のライトがゆうらゆうら揺れていたし、い
までも、その様子が思い浮かぶのだから! もうぼくたちはただ口をぽかんと
開け、見ているだけだった。

そして、その大きな鳥がつくったカレーは、とてもおいしかった。

それが最初。そして、それから何度も、ぼくとサトルはキッチンの前で、あの
どきどきするものを見てきた。声を殺し、身を硬くして、ほんの数ミリのドア
のすき間から、見えるものを見てきた。

あるときはママは巨大なハンミョウになった。別のあるときはカブトガニだっ
た。うそじゃない。ほんとうなんだ。ママは硬い外骨格に包まれたからだでの
たうつようにスパイスを挽き、スープを煮立て、フライパンを揺すり、ぼくた
ちは恐怖と期待でふるえあがり、ドアの前に釘付けになったまま微動だにでき
ずそれを見ていた。

そして数時間後、なにごともなかったかのようにドアが開き、ママが疲れ果て
た顔で言うのだ。
「さあ、カレーができたわ」
ぼくたちは歓声をあげる。すばらしい時間のはじまり。

ある日、サトルが言った。
「ママには、こいびとがいるんだ」
「こいびと?」
サトルはうなずいた。
「このあいだ、ママがそのひとと一緒にいるところを見たんだ」
「どうして、こいびととわかるんだ」
「そんなの、わかるよ。だれにだって」
「ふうん」

サトルによると、そのひとはママと同じスーパーに勤めている。野菜の仕入れ
担当でベジタさんと呼ばれている。背はあまり高くないが、がっしりしていて
声が大きい。

「別に……こいびとがいたっていいんじゃないか?」
「もちろんいいんだけど、ママはベジタさんといるときは、なんだか違う顔な
んだ」
「違う顔?」
「うん」
サトルは何を言いたいのだろうと思った。

また別の日、サトルが言った。
「今日、ママがベジタさんと並んで歩いてるところを見た」
「で?」
「ママはとても楽しそうだった」
「楽しそうならいいじゃないか」

そういって、ぼくははっとした。おととい、ママのカレーを食べたとき、なん
だか少しちがうような気がしたのだ。なんといえばいいのか、そう、パンチが
足りない、ていうか。

さらにぼくは思い出した。あるときママに聞いたことがあった。
「どうしてママのカレーはおいしいの?」
「さあ? 気持ちが入っているからじゃないのかしら」

気持ち。
そうか。気持ち、なんだ。

ママはカレーをつくらなくなった。キッチンにこもり、決してのぞかないでと
言うこともなくなった。悪い予感があたったと思った。ベジタさんのせいだ。
そうとしか考えられない。

「ママがベジタさんのバイクに乗ってた。二人乗りしてたんだ」
ベジタさんは仕事に行くときもどこに行くのでもバイクに乗る。バイク好きな
のだ。
「ママはベジタさんにしがみついて、とても楽しそうだった。笑ってた」
サトルが言うのをぼくは黙って聞いているだけだ。ぼくたち子どもにわかるわ
けがない。

そう。ぼくたちにはわからない。ぼくたちがもっと小さかったころ。パパが生
きていたころ。パパが突然死んで、ママがぼくたちと残されたとき、ママがど
んな思いをしてきたか。知っているのはママがいつも悲しげな顔をしていたこ
と。パパがいたころはあまり作らなかったカレーを、なぜか時々つくるように
なったこと。そして、少しずつカレー作りの腕をあげてきたこと。

「ママのカレーが食べたいなあ」
「ぼくも」
「しばらく食べてないし」
ぼくたちはたまりかねて、頼んでみた。
「そう? そんなに言うならつくってみようか」

ママはほほえんで言った。そういえば最近のママはおだやかにほほえんでいる
日が多い。

できあがったカレーはおそろしくまずいものだった。それは食べてみるまでも
なくわかっていた。ぼくたちはドアのすきまからいつものように見ていたが、
ママはついに、鳥にもカメレオンにもハンミョウにも変身しなかったから。マ
マは、ただのおばさんにみえた。

ぼくたちはママが好きだった。でも、それ以上にママの作ったカレーが大好き
だった。ママのカレーはおいしいなんてものじゃなかった。わくわく、ぞくぞ
くして、やがて食べ終わるときがくると思うと悲しくなるほどだった。どんな
詩人だってママのカレーの味を表現しつくすことはできないだろう。

ある日突然たくさんの人がやってきて、ママのカレーがノーベル賞に決まった
と言っても、ぼくたちはおどろかなかっただろう。ママのカレーは、誰が何と
言おうと、最高だった。だけど、ママは、ただのママなのだ。ああ、なんだか
涙が出る。

そんなに深く考えていたわけじゃない。だけど、ぼくたちふたりの結論は同じ
ところにいきついた。ぼくとサトルはある晩、ロープを持って外に出た。そし
て、ベジタさんがいつも早朝にバイクで通る道にそれを張っておいた。

ぼくたちは現場を見たわけではない。だれも見ていなかった。なのに、バイク
に乗ったベジタさんがロープにひっかかり、空にまいあがり、それがきれいな
弧を描きながらスローモーションフィルムみたいに落ちてきて、路面にたたき
つけられる場面を何人もの人が見てきたように話した。

打ちどころが悪くてベジタさんはまもなく死んだ。そのことをぼくたちが知っ
たのはママの口からだったか、それともテレビのニュースだったのか。
「警察では何者かが故意にロープを張ったとみて捜査を進めています」

ママはぼくたちの前では泣かなかった。ただ、なにかがこわれたみたいで、あ
まりものを言わなくなった。ぼくたちはしんぼう強く待った。

ふた月が過ぎたある日、ママが言った。
「今夜はカレーよ」
ぼくたちはうなずき、待ちに待った日がきたと思った。
「作ってるところは絶対に見ないでね」

いつもと同じだ! ぼくたちの期待がいやがうえにも高まる。だから、いつも
のように、ぼくとサトルは約束を破ってドアの前のすきまからママを見守った。

ママは調理台に何種類ものスパイスを入れたすり鉢を置き、ごりごりとすり始
めた。以前と同じく、下がり気味の眉のせいで悲しげに見える以外、ほとんど
無表情で。でも、その手が少しずつ早くなり、ママのたましいは次第に別の世
界に向かい始める。

息づかいが荒くなり、腕から肩にかけての筋肉が硬くなっているのがTシャツ
の上からでもわかる。そうだ、ママ、その調子だ。ぼくたちが目をこらして見
ていると、がくっ! とママの首が揺れて肩から何かが盛り上がり、天井に向
かって成長していった。

みるみるそれが雄大な翼へと変わっていくかに思えたとき、ママがふとわれに
返ったように目をまたたかせた。その目から涙がはらはらとこぼれ、腕の動き
が止まり、すると翼はしぼみかけた。ママ! だめだ。がんばるんだ! ぼく
たちは声に出さず、祈り続けた。それが通じたか、ママはまた手を動かし始め、
翼は張りを取り戻した。

そして、ママの体は分厚い皮膚でおおわれ、唇は鋭い歯をあわせもつくちばし
になり、いつのまにかキッチンには一匹の翼竜がいた。その翼竜は丸い大きな
目から静かに涙を流しながら、いつまでもスパイスを挽いていた。

何時間か後、髪を乱し、やつれたママがキッチンから出てきた。
「カレーができたわ」

ママのカレーはやはり最高だった。以前と比べると少し味が変わったようにも
思うが、そのうちママも勘を取り戻すだろう。ぼくたちはママのカレーが大好
きだ。ママのカレーのためなら、ぼくたちは何だってするのだ。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
< http://midtan.net/ >
< http://yamashitakuniko.posterous.com/ >

「スターウォーズ」のアナキン役で出ていたジェイク・ロイドの現在の写真を
見てちょっとびっくり。先頃亡くなったデイビー・ジョーンズの晩年の写真も
かなりびっくりしたけど。ジュリーも太るし、人間は変わるんだなあ。ひとご
とじゃないぞと言われそうだけど。

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■ローマでMANGA[50]
糸は「ちばてつや」だった

midori
< http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20120322140100.html >
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今回、「ローマでMANGA」というタイトルで書き始めて50回目の節目を迎えま
した。この節目に、今後は話題をちょこっと変えようと思うに至ったきっかけ
が起こったとは、神様はお見通しだったのか……。

話題を変えようと思ったきっかけは、先日来伊された東京大学大学院教育学研
究科教授の白石さやさんにお会いしたこと(お会いした当初は互いに「先生」
と呼び合っていたけど、白石さんのほうから「先生はやめましょうか」と言っ
てくださって苗字+さんで呼びあいました)。

白石さんはコーネル大学の文化人類学部で東南アジア研究のPh.Dを取得し、国
民国家、近代的学校教育、近代家族、近代的子供期等の研究をされてきました
が、1990年代頃から東南アジアの子ども達の生活がマンガやアニメによって大
きく変化してきたこと、それがアメリカや欧州での普及の仕方と異なることか
ら関心をお持ちになり、15年余りにわたって世界の各都市での調査を重ねて来
られたとのこと。

その調査をもとに「文化のグローバル化モデル」として本にまとめたいとお考
えで、「欧州での普及に関しては『Candy Candy』以来の先進国としてのイタ
リアを見逃すわけにはいきません」ということでイタリアにいらっしゃり、日
本アニメを吹き替えている声優、オタクたち、マンガ学校の生徒に混ざって私
もインタビューを受けました。

講談社のモーニング編集部で「ローマ支局」をしていたことや、イタリアでの
マンガの推移、日本MANGAの広まり方など、知っていることや私の考察をお話
するととても面白がって、「こういうこと本に書いてくださいよ」とまで言っ
てくださったのでした。

日本の大学で「マンガ科」なるものが設置されていること、それが増えている
ことは知っていますが、そのほとんどが専門学校のようにMANGAの描き方を教
えることに止まってことに不満を覚え、大学であるからにはMANGAについて分
析と考察をする学科があってもいいのではと常々思ってました。

この件には白石さんも同意見で、それが生まれない背景には、MANGAを考察の
対象とする人が少ないことや、情報の蓄積がないのだとのご意見でした。私
の経験や知識がそうした情報蓄積の一部になれば、今までしてきたことも無
駄ではないと強く思い、その発表をとりあえず置いておく場にこのデジクリ
が最適と、今回から私とMANGAとイタリアの関わりを、過去に遡って情報蓄積
したいと思います。

第一回目は題して「糸は『ちばてつや』だった」

私がイタリアに住んで、MANGAに関わった仕事や活動をするようになったのは
「ちばてつやさん」のせいというのは嘘だけど、なにかつながりの細い糸はあ
る。私とちばてつやさんの間に介するのは講談社だ。

もったいぶってないでさっさと言うと、まず、1962年に創刊された講談社の
「少女フレンド」で読んだちばてつや氏の「ユキの太陽」で、8歳の私は頭を
ぶん殴られたという"事件"がある。

それまでも少年誌でちば氏の作品は読んでいた。でも私は女の子である。
「ちかいの魔球」は面白く読んだけど、ちょっと距離があった。「ユカをよ
ぶ海」や「リナ」も読んだはずだけれど、頭をぶん殴られなかった。なぜなの
かは謎。この二話を読んだ時はまだ小さすぎたのかもしれない(字を読めるよ
うになったのは早かった)。

ユキが私と同年代という設定だったせいか、少女マンガなのにそれまでのよよ
と泣き崩れる主人公と違って元気いっぱいだったせいか。。。

第一話は、孤児のユキが孤児院に迎えに来た里親のおじさんの頭を、嬉しくて
シャベルでぶん殴ってしまうところで終わった。私は続きが読みたくて読みた
くて、じっとしていられない一週間を過ごし、また次の週も続きを読みたくて
読みたくて、毎週50円を握って近所の薬局へ「少女フレンド」を買いにいくの
が楽しみで仕方がなかった。

大きく時間が飛ぶ。短大を出た友だちが講談社の子会社に就職し、「少年マガ
ジン」編集部に配属された。私を買ってくれていたその友人が、「少年マガジ
ン」の編集者を紹介してくれた。その編集者、阿久津さんが、ちばてつやさん
の担当編集者だったのだ。当時は「あしたのジョー」の連載中だった。

だから、ちばてつやさんとは直接面識がないのだけれど、私の中では人生の転
機の中で姿を表した方なのだ。阿久津さんには私の絵を見てもらったりしたけ
れど、少年誌には合わずに仕事には発展しなかった。でも、友だちも交えて時
々お寿司をご馳走になり、編集の仕事の話を聞くのは大きな楽しみだった。

それから話はさらに4年後に飛ぶ。私が大学を卒業したのは、不況不況と言わ
れていた年だった。実際、4年制への募集は一件しかなかった。女子の四大卒
は大いに敬遠された年だった。

私も他の同窓生も、それぞれに入社試験を受けに行ったのだった。私はどこも
かしこも落ちて、知り合いを通じて籐家具の製造販売会社に就職した。「デザ
イナー」という触れ込みだったけれど、まずは現場からということで販売店へ
回された。

本当にデザイナーとしてやる気があれば、自分でどんどんデザインして案を上
げていけばよかったのだけど、立体ものはどうも…やりたかったのは平面だし…
と自分で境を作り、不満をためながら販売員に一年半ほど収まっていた。

1978年、同じ学部に通って卒業後も付き合っていた友人Yに二人でヨーロッパ
を旅行しようと提案された。不満だった就職先を未練なくあっさり辞めて、3
か月の南ヨーロッパ旅行に出発。イタリアに恋して「一年は住んでみたい」
という思いを胸に帰国。その思いを実現すべく派遣店員でお金を貯めて、翌
年、またイタリアのローマの地を踏んだのだった。

ローマでは土産物屋さんで働いたり、語学学校に通ったりしながら、私はある
下心を持って講談社にコンタクトをとった。下心とは、ゆくゆく何か仕事にな
っちゃったりして……というものであり、イタリアで発売されるマンガ月刊誌
をことごとく購入し、出版社、版型、掲載作品の作者名、タイトル邦訳、内容
のあらすじなどを書いて阿久津さんに送るというものだった。

これが、その後の私のイタリアにおけるマンガとMANGAに関わっていく道をつ
けたことになるわけ。これも、神の思し召しではないかと思ってしまうのだが、
私がイタリアを訪れた1978年というのは、それまでのイタリアにおけるマンガ
のあり方を一変するマンガ月刊雑誌が創刊され始めて間もない時、そして「一
年の予定で」再び戻ってきた1979年以降は、次々とマンガ月刊誌が創刊された
のだった。

その後、5年程度でこのムーブメントは消えてしまうのだが、ちょうど、創刊
ブームの時に長期滞在しに来た、というのは、もう、運命としか言えないでし
ょう。

それまでのイタリアのマンガ界状況は知らなかったし、否、多くの日本人と同
じように、世界中どこでもマンガがあるのは当たり前と考えていたので(自分
にとって当然のことは他人にも当然とつい思ってしまいますよね)、イタリア
のマンガ界がその時に大きく変わったのだとは、後になってわかってきた事実
だった。

私がイタリアに来た時にあった雑誌は──

◯Diabolik(1962年創刊)
< http://www.diabolik.it/ >
< http://www.diabolik.it/popup_cronologia1.asp?id=16 >
姉妹作家が描くスマートな泥棒カップルの話。白黒単行本、毎回読み切り。

◯Tex(1973年創刊)
< http://www.sergiobonellieditore.it/auto/cpers_index?pers=tex >
カウボーイが主人公の単行本、白黒。単行本ごとに読み切りではなく、何号か
にわたっての中編。作家、作画家、ペン入れ、表紙絵とチームで制作して週刊
を可能にしている。出版社のSergio Bonelli Editoriでは、こうしたチームを
幾つか作り、現在では30近くのタイトルを発行している。

◯Lancio story(1974年創刊)
◯Skorpio(1977年創刊)
< http://www.editorialeaurea.it/ >
どちらもEura Editoriale社刊。これは週刊だったような記憶がある。大きさ
は日本のMANGA単行本より若干大きめ程度。表紙はカラーで、内容は白黒。主
にスペイン、スペイン経由のアルゼンチンの作家の作品を複数載せていた。
つまり、この出版社が開拓、育てた作家のオリジナル作品ではなく既成の作品
の出版権のみを購入して出版なので、安価で頻度の高い出版を可能にした、と
いうわけ。

◯Linus
◯AlterLinus(1974年創刊)
◯Alter Alter(1977年創刊)
< http://www.slumberland.it/contenuto.php?tipo=rivista&id=2&nome=alterlinus_/_alteralter_/_il_grande_alter >
どちらもMilano Libriという出版社刊で、読み物とマンガが半々くらいの雑誌。
版型は変形A4版(若干縦が短い)。

"Linus"は、ご存知、シュルツの「ピーナッツ」を主に掲載。他の二誌はヨー
ロッパマンガに興味がある人なら知っている、フランスの作家メビウスの作品
も時々載せていた。

アルゼンチン、スペインでデビュー、活躍していたイタリア人作家を取り上げ
逆輸入でイタリア人作家の技量を知らしめた(Hugo Pratt)。
セクシーコミックス「Valentina」の作家Guido Crepaxのデビューもこの雑誌。

私が阿久津さんに送るようになってから、この雑誌からSergio Toppi,
Filippo Scozzari, Andrea Pazienzaという後の(と言ってもほんの数年なの
だけど)大御所を輩出し、新しいイタリア・コミックス・ムーブメントを起こ
した「バルボリーネ・グループ(Mattotti, Carpinteri, Igort, Jori,
Kramsky)」の作品を載せ、実験的コミックスを世に出した。

同時期、「悪い子達」の雑誌が次々と出た。読み物も多く、マンガも読み物も
タブーを無視したアングラ的内容。

◯IL MALE(悪)(1977年創刊)
実験的な作品ばかり載せた月刊誌。

◯Il Cannibale(食人)(1979年創刊)
Vincenzo Sparagna というジャーナリスト、作家、イラストレーターが
IL MALEから離れて作った雑誌。

◯Frigidaire(不感症)(1980年創刊)
< http://www.frigolandia.eu/catalogo_frigidaire_1_24.htm >

Sparagna 氏が実験的、意欲的作家群Stefano Tamburini、Filippo Scozzari、
Andrea Pazienza、Massimo Mattioli、Tanino Liberatoreと共に創刊。先に記
述した「バルボリーネ・グループ」に名を連ねた作家がほとんど。その中で雑
誌創刊に関わっていないが、作家としてIgortも参加。このIgortが後に講談社
モーニングと関わりを持ち、私が引きこまれていく。
Igort < http://www.igort.com/home.html >

◯Corto Maltese(1983年創刊)
Fumetti RIZZOLI/MILANO LIBRI, Collana CORTO MALTESE RIVISTA

イタリアの大手出版社Rizzoli、後にMilano Libriから創刊された「良い子の」
マンガ雑誌。アングラ的ではなく、ちゃんとストーリーがあり、伝統的なイタ
リアコミックスと比べて洗練された絵柄のマンガ作品を載せた。

雑誌タイトルと同名の、大御所Hugo Prattが1966年から描いているストーリー
を表看板に持ってきた。先出のCrepaxやPazienzaも名を連ねた。ここで連載を
始めた柔らかい線のMilo Manaraが大人気を博した。この作家は各雑誌で引っ
張りだこになり、読者の食指を動かすために大々的に掲載をうたいながら実際
はカラーイラスト一枚の掲載だったりして、読者の当てがはずれて少しづつ漫
画雑誌の読者離れを引き起こした間接的原因となった、と私は考えている。
Milo Manara < http://www.milomanara.it/ >

その他にも、

◯1989
スペイン、アルゼンチンの作家のSF専門誌。結構長く発行して、年代が進んで
タイトルの1989年になってしまった時は一挙に2989(年)に改タイトル。この
年に辿り着く前に廃刊。

◯Metal Hurlant
フランスの同名雑誌のイタリア語版。こちらもSF。

◯Pilot
< http://www.fumetto-online.it/it/ricerca_editore.php?EDITORE=NUOVA%20FRONTIERA&COLLANA=PILOT&vall=1 >
フランスの同名雑誌のイタリア語版。フランスコミックスの一般人の日常や愛
憎の葛藤など描いた、ポップアート調の洒落た雰囲気の漫画雑誌。中とじで、
見開きで一枚絵になる表紙も他の雑誌と違っていた。一枚、雑誌から表紙だけ
はがして額に入れて部屋に飾っていたことがある。

◯Comic Art
遅れて出てきた月刊誌。ローマの同名出版社刊。後にこの編集長兼出版社代表
者と会ったこともあるけれど、その人柄からもいかにも「この形態が売れてる
から便乗しよう」というだけで発刊、ポリシーがなく読んで気持ちのよい雑誌
ではなかった。

イタリアマンガ界の概要を言えば、それまで幼児、子供を対象にしたビジュア
ル雑誌にほそぼそとギャク調の短編マンガか、大人向けの白黒ポケット版がい
くつかある程度だった。

そこへ70年代の中頃に、オトナの文化的素養を持つ読者の鑑賞に耐えられる、
美術的、社会的、哲学的な作品が出始め、70年代終わりから80年代始めにかけ
て怒涛のごとく現れた。私の渡伊の時期はそんな大事な時期と重なったわけだ。

(イタリアのマンガの概略については飛鳥新社刊「euromanga」2号の読み物
「イタリアの漫画」で知識を得られます。下記アマゾンのURL、「中身検索」
でこの記事の全文を読めちゃいます)
< http://www.amazon.co.jp/dp/4870319055/ >

さて、これで私の「情報蓄積」の下地塗りが完成。次回から私が関わった具体
的な事例を紹介して組み立てていきます。

【みどり】midorigo@mac.com

国会中継みてますかー? NHKだと大事な所で切ったりするので、ぜひニコニ
コ動画で。民主党がどんな政治をしているのか、国民の義務として確かめまし
ょう。たとえば、3月19日の参院予算委員会。
< http://www.nicovideo.jp/watch/sm17296977 >

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/ >

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記(03/22)

●読売新聞3/18の読者投稿欄「論壇風発」のテーマは「外国人労働者」だった。
トップに掲載されているのは、「日本の人口減少は加速して労働力が不足する
から、経済や社会の活性化を図るためには外国人労働者の受け入れは不可欠だ
ろう」とほとんど思考停止状態で一般論をのたまう71歳無職。全7編中6編が同
様の積極的賛成論、1編が消極的賛成論である。

いわく「私が今まで出会った外国人労働者は、勤勉で仕事にも手を抜かない人
たちばかりだ」「外国人労働者とのつながりの大切さにも思いを巡らせる必要
がある」「永住してもらうことを視野にサポート態勢を作る必要がある」「挨
拶されると気持ちがいい。さらに交流を進めたい」などと、警戒感は皆無であ
る。さらには「私たちが外国人の文化や習慣を正しく理解し、しっかりした受
け入れ態勢を整えれば、治安への不安はないと思う」いう元法廷通訳もいる。
これは明らかな間違いで、日本の文化と習慣を正しく理解すべきは外国人労働
者の側ではないか。唯一の消極派は、トラブルや不安を取り除くため、あらか
じめ共存の方法を考えておく必要があると書く。ああ日本人はお人好しにもほ
どがある。というより世界を知らない大バカである。

そして、この欄でいう外国人労働者とはなにか。現状の「専門的・技術的職種
のみ受け入れ」だけでなく、単純労働者まで含んでいるようである。そこはハ
ッキリ分離しなければならない。単純労働者まで受け入れを認めたら日本は終
わる。そのことはヨーロッパ各国の、とりかえしのつかない大失敗が証明して
いる。言論人の署名入りの外国人労働者導入賛成論ではなく、署名はあれどほ
とんど匿名同様な人たちの投稿という形態を用いて、新聞は一定の方向に世論
を誘導しようとしている。賛成ムードを醸成しようとしている。在京6紙すべ
てが、専門的・技術的分野とは評価されていない分野における外国人労働者の
受け入れに賛成しているのだ。ますます新聞は信用できない。   (柴田)

●自分のための……共感します。天井の高さの無駄もわかります。必要ですよ
ね。連載ありがとうございました!/ひとごとじゃないと思う今日この頃です。
ワタクシ今までの人生の中で一番太ってます……。/国会中継、たまに見てま
す、というか聞いています。/疲れ目。最近なら経理ソフトへの入力、きつめ
スケジュールでのコーディング作業、長時間セミナーでのスクリーン凝視、観
劇などが重なると目が痛い。頭痛もする。読書すらしんどい。で、Siriやオー
ディオブック。後者はとうとうfebeの月会員になってしまった。購入するのは
持っている本が多いが、耳から聞くと新鮮。オーディオブックの良いところは、
繰り返し聞くことが苦にならないところ、場所を選ばないところ。家事をしな
がら、歩きながら、お風呂に入りながら聞ける。聞き逃しても、二度目、三度
目で聞けばいいし、読んだことのある本なら少々飛ばしても理解できる。febe
の欠点は、新しい本がなかなか発売されないところ、まだまだ数の足りないと
ころ。オーディオブックの欠点は時間がかかるところ。本なら一時間程度で読
める本でも、朗読されたら三倍はかかる。倍速版の用意されているものもある
が、ながら聞きなので倍速だと聴き取れない。       (hammer.mule)
< http://www.febe.jp/ >  FeBe

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デスク     濱村和恵 < mailto:zacke@days-i.com >
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