2011年9月9日金曜日

日刊デジクリ[#3110] 「死刑台のエレベーター」とふたりの監督

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.3110    2011/09/09.Fri.14:00.発行
http://www.dgcr.com/    1998/04/13創刊   前号の発行部数 10018部
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         《僕も吉瀬美智子に囁かれたら……》

■映画と夜と音楽と…[514]
 「死刑台のエレベーター」とふたりの監督
 十河 進

■ところのほんとのところ[62]
 いきあたりばったり撮影旅行
 所幸則 Tokoro Yukinori

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■映画と夜と音楽と…[514]
「死刑台のエレベーター」とふたりの監督

十河 進
< http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20110909140200.html >
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〈死刑台のエレベーター/恋人たち/鬼火/アトランティック・シティ/
            ダメージ/独立少年合唱団/いつか読書する日/
                  のんちゃんのり弁/愛と死と/休暇〉

●40年の監督生活で20数本の作品を遺したルイ・マル

その男は、日本人から見れば非常に短い姓と名を持っていた。ルイという名に、
マルという姓である。最初に聞いたとき、僕はルイマルという名前で姓は別に
あるのだと思っていた。ジャンヌ・モローとブリジット・バルドーが共演した
「ビバ!マリア」(1965年)という映画で、初めてその名前を耳にしたのだ。

「ビバ!マリア」は、人気絶頂だったふたりのフランス女優がメキシコ革命を
背景に大騒ぎする映画だった。シリアスな映画ではなかったし、といってコメ
ディとも断言できない。ふたりの女優はコルセットとガーターベルト(そんな
名前さえ中学生の僕は知らなかったけれど)姿で走りまわっているだけの印象
があり、僕には楽しめなかった。

だから、ルイ・マルという名前を意識したのは、マイルス・デイヴィスの「死
刑台のエレベーター」というLPを聴いたときだった。試写室に映し出されるラ
ッシュフィルムを見ながら即興で音楽を吹き込んでいった、という伝説がもっ
ともらしく語られていた。僕は「死刑台のエレベーター」が見たくてたまらな
くなったが、創元推理文庫で出ていたノエル・カレフの「死刑台のエレベータ
ー」を読むことで我慢した。

ルイ・マル本人についても調べてみた。フランスの大企業の経営者一族の出身
だという。その大企業はプジョーだったかルノーだったか忘れたが、少なくと
もシトロエンではなかった。1932年に生まれ、ジャック=イヴ・クストーとの
共同監督作品「沈黙の世界」(1956年)を経て、「死刑台のエレベーター」
(1957年)を製作し、25歳の新進気鋭の監督として、一躍、全世界に名前が知
られた。

「恋人たち」(1958年)「地下鉄のザジ」(1960年)「私生活」(1962年)
「鬼火」(1964年)と続く、その後の作品歴を見ると、「死刑台のエレベータ
ー」がフロックではなく、真に才能のある若者によって作られたことがわかる。
「恋人たち」「鬼火」など、何度見ても僕はゾクゾクするし、「地下鉄のザジ」
は映画史の中でも実験作として評価が高い。

後年、ルイ・マルは何作かをハリウッドで作った。アイドル的人気があったブ
ルック・シールズを主演にした「プリティ・ベビー」(1978年)からである。
ルイ・マルは女優を魅力的に撮る監督だと思われているが、次作の「アトラン
ティック・シティ」(1980年)では、年老いた元ギャング(バート・ランカス
ター)の悲哀をしみじみと描き出した。ヒロインは若きスーザン・サランドン
であり、彼女の代表作になった。

その頃、僕はルイ・マル夫人がキャンディス・バーゲンだと聞いて驚いたこと
がある。彼女はハリウッドの知性派女優で、その頃はテレビキャスターを演じ
ているシリーズドラマが日本でもNHKで放映されていた。ルイ・マルが1995年
の晩秋にガンで死んだときは、キャンディス・バーゲンが看取ったと聞いた。
彼女との間には娘がひとり残った。

「アトランティック・シティ」以降、ルイ・マルはフランスに戻って「さよな
ら子供たち」(1987年)「五月のミル」(1989年)などを作り、イギリス・フ
ランス資本で「ダメージ」(1992年)を監督した。ジュリエット・ビノシュと
ジェレミー・アイアンズ主演の官能に充ちた物語だった。「死刑台のエレベー
ター」「恋人たち」以来、ルイ・マルが描き出すセックスの情動、官能性は衰
えてはいなかった。

ルイ・マルは、63年の人生を生きた。「死刑台のエレベーター」を作ったのは、
25歳のときだった。40年にわたる監督生活で、20数本の作品を遺した。日本未
公開のものもあるし、あまり評判にならなかった作品もある。しかし、僕が見
た15本の作品は好き嫌いはあるけれど、どれも完成度は高かった。

●25歳の青年によって作られた完璧な作品

先日、改めて「死刑台のエレベーター」を見たが、その完成度の高さには驚く
しかなかった。この物語を、これ以上の形で作ることはできない。そういう意
味では、完璧な映画だ。撮影サイズ、カメラアングル、フィルム編集、ナレー
ション…、どれをとっても変更不能である。「死刑台のエレベーター」が25歳
の青年によって作られたとは、とても信じられなかった。天才としか思えない。

25歳の頃、僕は何をしていたのか。23歳で大学を卒業し、今も勤めている出版
社に入った。その年の秋、結婚し、24歳になった。配属された編集部は「小型
映画ビギナーシリーズ」というムック編集部で、「8ミリトーキー入門」「8ミ
リタイトル集」「8ミリ映画監督入門」といった特集誌を編集していた。編集
長はひとまわり年上で、36歳だった。編集部には、もうひとり一年先輩の人が
いるだけだった。

入社した年、1975年5月の連休のことだ。「8ミリ専門誌の編集部に入ったのだ
から、8ミリ撮影くらいは経験しろ」と言われ、連休中、8ミリカメラを借りて
帰った。フィルムと現像代が高いので、ケチな僕はモノクロームのフィルムに
した。まだ、その頃はモノクロームフィルムが存在したのだ。

高校時代に友人たちと自主映画を撮ろうと考えたが、カメラも金もなくて諦め
た。それが、機材は使い放題だというのに、そのときの僕には特に撮りたいも
のはなかったのだ。それでも、3分20秒のフィルムでひとつの作品を作ろうと
考え、簡単なシナリオを作った。タイトルは雑誌の文字を切り抜いて撮影した。
「甘えが君をダメにする」というものだった。

友人に主演をさせ、サイレント映画だったから、「雑用が多くていけねぇ」と
いったセリフのタイトルを間に挟んだ。モデルガンを使い、やたらに歩くシー
ンが多い作品だった。その頃、夢中になっていた鈴木清順監督の殺し屋映画の
影響がそのまま出ていたが、エピゴーネンにもなっていない駄作だった。下宿
での上映を見た主演の友人は、「おまえ、才能ないわ」と断言した。

その頃、編集の仕事が面白くなり始めた。ある日、8ミリマニアだと聞き、藤
子不二雄プロの藤本弘さんに取材を依頼し快諾を得た。新宿十二社にあったプ
ロダクションを訪ねて話を聞き、写真を撮らせてもらう段になって、藤本さん
は安孫子さんを呼んだ。その頃は、どんな場合も藤子不二雄として一緒に写真
に収まったのだ。藤子・F・不二雄と藤子不二雄A(○の中にA)に別れる日が
くるとは、夢にも思っていなかった。

その日、帰社してテープを聴こうとすると、何も録音されていなかった。簡単
な走り書きが手元にあるだけだ。僕は真っ青になり、必死の思いで原稿を仕上
げた。発言をそのまま起こすのではなく、少しアレンジしたものになったが、
その方が発言の意図がはっきりした。それでも、インタビュー原稿としては、
インタビュアーの顔が見えすぎる文章のような気がした。

数日後、藤本さんが描いてくれると言ったカットをもらうために、藤子不二雄
プロを再訪し、書き上げた原稿に目を通してもらうと、藤本さんは優しそうな
表情で「よく書けてますね」と言った。ホッとした。何の自信もなく走ってい
た(というより劣等感の塊のようだった)僕に、少し自信が湧いてきた。文章
だったらやっていけるかもしれない、と何となく思った。

その日、描いてもらった10センチ四方くらいのカットには、パーマン、オバケ
のQ太郎、忍者ハットリくん、ドラえもんなど、藤本さんが創り出したキャラ
クターと一緒に8ミリカメラを持つ藤子不二雄さんたちが描かれていた。藤本
弘さんが亡くなったニュースを聞いたとき、あのカットは返却したのだろうか
と不安になった。遠い記憶は、曖昧なもやに包まれていた。

その頃のことを思い出すと、「自分は社会の中で生きていけるのか」という不
安と劣等感に捉えられ、脅迫観念に迫られながら、自律神経失調症に悩む痩せ
た青年の姿が浮かんでくる。僕は早くに結婚し、貧しかった。阿佐ヶ谷駅前の
西友でパート勤めをしていた妻は休日には不在で、ひどい精神状態のときには
僕は夕方まで布団に潜り込んで過ごした。

そんな己の若い頃を思い出すと、「死刑台のエレベーター」が25歳の青年によ
って作られたことが、やはり信じられない。もちろん、世の中には天才がいる。
特にフランスには18歳で詩を棄てたにもかかわらず、未だに世界中の文学青年
たちの憧れであるアルチュール・ランボウがいる。20世紀には、レイモン・ラ
ディゲやフランソワーズ・サガンがいる。フランスは早熟な天才の宝庫なのか
もしれない。

しかし、早熟である必要は何もないのだ。急ぐ必要はない。ほとんどの人は天
才ではないし、世界で認められるほどの才能はない。人は少しずつ成長すれば
いいのだ。還暦まで数ヶ月になった僕は、そう思えるようになった。しかし、
その言葉を、何とか60年生き延びてきた男に生まれた、ささやかな自信が言わ
せているとしたら、若い人にはイヤミに響くかもしれない。

●「死刑台のエレベーター」をリメイクするという無謀な試み

「死刑台のエレベーター」の日本でのリメイク版(2010年)が上映されると知
ったとき、僕が無謀な試みだなあと思ったのは、あの物語をあのように描く以
外、どんな方法もないと思っていたからだった。しかし、監督が「いつか読書
する日」(2004年)の緒方明さんだったので見る気になった。あの名作をどん
な風にリメイクするのか、才人監督の手腕に期待したのだった。

緒方明監督の「死刑台のエレベーター」は、思わずのめり込むほどの出来だっ
た。成功した理由は、オリジナル版を完全に踏襲したからだ。現代の日本を舞
台にするために、オリジナル版ではインドシナ戦争の英雄だった主人公の過去
を変更したり、簡単に拳銃を入手できない日本なので元軍人のマスターを登場
させたりという変更は加えているが、ベースはオリジナルに忠実だったために、
オリジナル以上の切なさを感じさせる作品に仕上がっていた。

オリジナル版は、電話をかけるフロレンス(ジャンヌ・モロー)のアップで始
まる。「もう耐えられない」と彼女は囁く。相手は愛人のジュリアン(モーリ
ス・ロネ)だ。フロレンスは「ジュ・テーム」という言葉を何度も口にする。
官能的なオープニングシーンだ。マイルス・デイヴィスがスクリーンのジャン
ヌ・モローに恋をしたと伝えられるのも、あながち伝説だとは思えない。ジャ
ンヌ・モローの声が耳に残る。

リメイク版では、女(吉瀬美智子)が携帯電話で男(阿部寛)と話をしている。
最初の言葉は「もう耐えられない」であり、「愛してる」というフレーズが何
度もふたりの間で交わされる。日本映画にしては気取った感じがするが、スタ
イリッシュな(気取った)映像が美しく、そのセリフのリアリティを裏付ける。
そう、作品によっては「気取り」がとても重要なのだ。この映画では英語の会
話が頻出するが、そんな気取りも雰囲気を高めていた。

女が「もうそろそろ大佐が着く頃ね」と言って、電話を切る。波止場に駐車し
ている高級スポーツカーに乗る男。一台の車が停車し、大きな黒人が降りてく
る。大佐と呼ばれる男だ。黒人は「魔女からの贈りものだ」と英語で言って、
身を翻す。男がリボンの着いた箱を開けると、拳銃とサイレンサー、それにメ
ッセージカードが入っている。

男はそれを読み、火を点けて棄てる。その炎の塊が黒バックのスクリーンに流
れ、奈落に落ちるようにエレベーターの壁の中を下っていくタイトルバックに
なる。ジャズではなく、弦楽器を生かしたサスペンスを盛り上げるテーマがワ
クワクさせる。期待感を抱かせる。そこから、オリジナル版と同じ物語がカラ
ーで、ヨコハマを舞台(気取るのならヨコハマです)に展開されていく。

手都芽衣子という、悪徳実業家の若い妻を演じる吉瀬美智子がいい。ジャンヌ・
モローよりずっといいと言うと反対意見も多いだろうけれど、旬の女優の輝き
が素晴らしい。ルイ・マルの「死刑台のエレベーター」を同時代に見ていたら、
僕もジャンヌ・モローに思い入れるかもしれない。しかし、今、僕は同時代の
女優として吉瀬美智子を見ている。その輝きを感じる。本当に美しいとため息
が出る。

愛人の男が約束の場所に現れない。男の車が走り去るのを目撃するが、助手席
には若い女(北川景子)が乗っていた。若い女は、男が通っている美容室の美
容師だ。男への愛と信頼が揺らぎ始める。だが、「そんなはずはない」と打ち
消す。男が自分を愛しているのは間違いない。誰にも引き裂けない強い愛だ。
男は夫を自殺に見せかけて殺し、自分を奪いにくるはずなのだ。

ヨコハマの夜に浮かび上がる、黒いドレスに赤いロングコートの女。男を捜し
て街を彷徨う。雨が降ってくる。ネオンが美しい。濡れた歩道が光を映し出す。
女の内面の声が、その美しい夜景にかぶさる。いわくありそうなバーの扉を押
す。大佐と呼ばれる黒人がマスターだ。扉のそばに立つ、赤いコートを抱きし
めるようにした女。濡れた髪からしずくが垂れる。ゾクゾクする美しさだ。女
は流暢な英語で黒人に話しかける。女は、愛する男に放った己の言葉を甦らせ
る。

──あの人を殺して、私を奪いなさい。そして、ふたりはずっと一緒。

男は女にそう囁かれ、女の夫を殺すことを決意する。腕のいい医者であり、高
級スポーツカーを乗りまわすほどの高給取りが人を殺す決意をすることに説得
力を持たせるには、ヒロインの美しさが際立たなければならない。オリジナル
版のジャンヌ・モローが観客を魅了し、たとえ破滅してもこの女を手に入れた
いと願う男の気持ちに共感したように、ヒロインの美しさがこの作品の核なの
だ。僕も吉瀬美智子に囁かれたら…、と夜の街を彷徨う彼女を見ながら納得し
た。

●緒方監督とは30年前にすれ違っていたかもしれない

緒方監督は、学生時代から石井聰互監督作品の助監督をつとめている。当時、
僕は月刊「小型映画」編集部に異動しており、まだ日大生だった石井監督が8
ミリ作品「高校大パニック」や「突撃!博多愚連隊」(1978年)を持って編集
部にきたときに会っている。石井監督の「狂い咲きサンダーロード」(1980年)
の制作発表にも出席したし、何度か取材もした。

「爆裂都市 BURST CITY」(1982年)の制作発表では、初めてロッカーズの存
在を知り、若き陣内孝則を見た。30を過ぎたばかりの僕は、石井組のスタッフ
である20歳を過ぎたばかりの緒方監督とすれ違っていたのかもしれない。緒方
監督は8ミリ作品「東京白菜関K者」(1980年)で第4回ぴあフィルムフェステ
ィバルに入選しており、僕はその自主映画を見ているはずだし、誌面でも紹介
した。

しかし、緒方監督が劇場映画デビューしたのは、2000年のことだ。すでに40歳
を超えていた。そのデビュー作「独立少年合唱団」を完成させたのは、ぴあフ
ィルムフェスティバル入選作「東京白菜関K者」から20年後のことである。以
来、10年を超える月日が流れたが、緒方監督の劇場公開作品は未だに少ない。
だが、どれもすぐれた映画ばかりである。

「独立少年合唱団」を思い出すと、今でも「ポーレシュカ・ポーレ」とか「ス
テンカ・ラージン」など、美しいボーイソプラノが歌うロシア民謡が耳の奥で
響き出す。タイトルは岡本喜八監督の「独立愚連隊」にオマージュを捧げてい
るのだろうか、岡本監督本人が出演している。そのことも、僕があの映画を印
象深く憶えている理由だ。まだ、それほど名優扱いされていなかった香川照之
を、僕が認めるきっかけになった作品だった。

「いつか読書する日」(2004年)については、「平凡な人生は存在するか」
(「映画がなければ生きていけない」第2巻529頁参照)で書いたけれど、田中
裕子と岸部一徳のふたりが実によいのだ。「腹が立つのよ」と言う田中裕子に、
パート仲間が「何に?」と問い返す。すると、「自分によ」と苛立つように答
える。歯がゆそうな田中裕子の声が、表情が、今も甦る。何かあるたびに見返
したくなる。

それから5年後の作品「のんちゃんのり弁」(2009年)は、ずいぶん雰囲気の
違う明るい作品になった。ダメな夫を棄て、長女ののんちゃんを連れて実家に
戻った小巻(小西真奈美)は特別な能力もなく、どう生きていくか途方に暮れ
るのだが、子供のために作った弁当が好評で、自分の得意なことが料理だった
と気付き、居酒屋のオヤジ(岸部一徳)に弟子入りして腕を磨く。やがて、開
店前の居酒屋を借りて弁当屋を開く…。

朝は牛乳配達、昼間はスーパーのパートで働き、読書するだけが楽しみだった
「いつか読書する日」の中年女性、ダメ亭主を棄てて子持ちで独立しようとす
る「のんちゃんのり弁」の普通の主婦、そんなヒロインたちを描いた後、緒方
監督はスタイリッシュさを突き詰めたような正反対の作品「死刑台のエレベー
ター」に挑戦したのである。

「鬼火」という戦慄する作品もあるが、結局は「死刑台のエレベーター」を超
える作品を作れなかったルイ・マル。一方、緒方監督の作品歴から見えてくる
人生は、対照的だ。40過ぎでデビューし、劇場公開された長編作品はまだ数本
だが、50歳を過ぎて「のんちゃんのり弁」「死刑台のエレベーター」と幅を広
げた仕事をしている。年を重ねてなおチャレンジできること、新しい世界を広
げられること、それはとても幸せな人生ではないか。

そう言えば、「死刑台のエレベーター」が公開された頃、まだフランスには死
刑制度があった。高校3年生のときに公開されたクロード・ルルーシュ監督
(もちろん音楽はフランシス・レイ)がフランスの死刑制度を批判した作品
「愛と死と」(1969年)を見て、僕は未だにギロチンが使われていることに衝
撃を受けた。日本は絞首刑だが、現在も死刑は行われている。最近、小林薫が
刑務官を演じた「休暇」(2007年)を見て、死刑制度について深く考えさせら
れたものだった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

この原稿を書いてしばらく寝かせていたら、WOWOWのプログラムが届き、9月9
日金曜日の夜(つまり今夜)、WOWOWで緒方監督版「死刑台のエレベーター」
を放映するのを知ったので、原稿掲載を本日にしました。見て落胆した人が
いたら、ゴメンなさいと言うしかないのですが…

●第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」受賞!!
既刊三巻発売中
「映画がなければ生きていけない1999-2002」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2003-2006」2,000円+税(水曜社)
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●朝日新聞書評欄で紹介されました。紹介記事が読めます。
< http://book.asahi.com/book/search.html?format=all&in_search_mode=title&Keywords=%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%91%E3%82%8C%E3%81%B0%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84 >

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■ところのほんとのところ[62]
いきあたりばったり撮影旅行

所幸則 Tokoro Yukinori
< http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20110909140100.html >
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8月中旬、久々に時間がとれたというA君(所塾生)とふたり、とりあえず車で
西へ向かうことだけ決めて、行き先を考えずに撮影旅行に出かけた(彼は普段
3DCG中心でムービーの仕事をしているので、仕事が集中すると缶詰状態になる)。

スタートを早朝4時の渋谷発と設定したおかげで、とても順調な進行だった。
残念なのは一時安かった高速代が元に戻っていることと、ガソリン代がとても
高かったことかな。非常に眠い……。こういうタイプの旅行は初めてだったの
で、興奮したせいもあって、ほとんど眠れなかったので。

本当は静岡でおいしいと噂のうなぎ屋さんなどに寄りたかったけど、東名高速
がスムーズすぎたのと帰り道路が混むことも想定して、行けるとこまで行って
しまおうと決断した。後ろ髪を引かれながらもどんどん先へ。うな重大好きな
[ところ]としてはかなり残念。

途中、名古屋手前の静岡のどこか(お店もないパーキングエリア)で、海を眺
めてまったりした程度で、どんどん西へむかう。それにしても最近のパーキン
グエリアはファミマはあるし、スターバックスはあるし、トイレもきれいです
ごいね。10年も前だとこんなまともなものは食べられなかった。

名古屋あたりで入ったパーキングエリアで食べたひつまぶしも、それなりに美
味しいレベルだった。あのすごくまずくて、油も悪そうなアメリカンドッグや
大きなウインナーは、遥か昔に思えて懐かしくもある[ところ]だった。

とりあえず、どんどん西へ、どんどん西へ。京都あたりで少し混んできたが、
日本海方面にいくか、瀬戸内方面にいくかふたりで悩んでる間に兵庫県に入っ
てしまった。ちょっと想定外。

だけど、こういういい加減なのもたまにはいいかなと思って「姫路城を見たこ
とある?」と振ってみる。「それが見たことないんスよ〜」という返事だった
ので、それじゃ行ってみようと姫路城に向かう。なにしろ世界遺産だし! 意
外に途中道が混んで、夕方に姫路城到着。

しかしお城が見えない。ナビでは着いてるはずだけど。あれ? なんだあの白
い四角い箱は! 巨大な四角い箱に姫路城の絵が書いてある。そう、なんと修
復中だった。うーん、さすがに行き当たりばったりの旅だけあって、まったく
調べたりもしていなかったから、こういうこともあるか……。

ミラノのドゥーモも、二度目に訪れたときは修復中で6年ほど覆いがかかって
たなあなどと思いながらも、まあこういうのも貴重な体験と開き直って写真を
撮ろう! これがかなり楽しかった。逆に考えれば、そうとう面白い物体で、
観光写真にならないところがいい。

駐車場の立て札によると、修復にはあと2年近くを要するらしい。5〜6年かけ
ての修復。本気で大事にしてる様子が伝わってきてうれしい。さて、少しずつ
近寄っていきながら撮影。学生グループもいれば(修学旅行のはずはない?)、
近所の人が犬を連れて散歩もしてる。なんだかこういう撮影も楽しいものだ。
陽が沈むまでずっと撮り続けた二人だった。

そのあと大阪まで戻ったけれどかなり夜も更けていて、期待していたお好み焼
き屋さんに行けなくて残念。次回には行きたい、絶対に行くぞーと心に誓った
[ところ]です。

翌朝早くから、梅田付近を散策しながら撮影する。昔から梅田って構造が複雑
で面白いなと思っていたのだが、改めて興味深い地域だなと再認識した。30年
前に大江千里をバイトで撮った場所を通りかかった。あー、土砂降りの中でも
当時新人だった彼は一生懸命歌っていて、ぼくもびしょ濡れになりながら撮っ
たことを思い出した。エストワンの近くのちょっとした広場だった。場所の名
前もまったく憶えていないが……。なんだかとても懐かしい……。

梅田はまたちゃんと撮りに来ようと思った[ところ]でした。一日や二日じゃ
話になりません。話にならないからさっさと移動することにして京都へ。京都
も、もちろんマジに撮る気なら何年か住まなきゃ無理である。本当の目的はお
気に入りの焼きそばやさんでの夕食だったので、その周りでちょっと偵察気分
の撮影。

なかなか面白い写真が撮れたと、いい気分でお店の前に立ったのだけれど、な
んだか様子がおかしい。開店時間になっても始まる気配を感じない。念のため
お店に電話。「すんまへんなあ、お盆休みで……」とのこと、相当がっかりし
たけれど、京都らしい落ち着いた店で好物のにしん蕎麦を食べ、満足して高速
に乗ったふたりでした。

9月23日(金)から9月25日(日)まで、日本で唯一の写真だけのアートフェア
「Tokyo Photo 2011」が東京ミッドタウンで行われます。FOREST AMONG US
presents 東京画、ギャラリー21のブースで出展しています。ぜひ見に寄って、
ぜひ買って帰ってください!
< http://www.tokyophoto.org/ >

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/ >
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/ >

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■編集後記(9/9)

・読売の名物コラム「編集手帳」で紹介されていたので、これはぜひ読んでみ
たいなと思い、妻からも買ってきてと言われていながら入手できなかった本
「他人の何気ない一言に助けられました」を図書館で見つけたので、ようやく
手に取ることができた(中央公論新社、2011)。普通の書籍より横幅が小さい
160ページほどの軽装版。白地が目立ちすぎる行間スカスカ本だ。これで1,000
円とは値頃感ゼロではないか。でも、本は内容次第だと気を取り直し、あっと
いう間に読了。あっけないほど少ない情報量。「300万人が泣いた魔法の言葉」
と表紙にあるのだから、感動で泣けて泣けて……の期待もむなしく、掲載され
たエピソードは確かにいい話、いい言葉だとは思うけれど、あまりに平凡なも
のばかりだ。言い古された表現も多い。これは読売の女性向けサイト「発言小
町」にアップされた投稿をお手軽にまとめただけの手抜き本だ。ストレスや孤
独感にさいなまれる人たちが、ネット上で読めば快い内容かもしれないと理解
するが、意地悪爺さんのわたしは、この程度で感動できるのなら安易な人生だ、
未熟者め、と悪態を吐く。つくづく思う。若い人よ、主婦よ、無駄なネットや
る時間があるなら、まともな本をたくさん読みなさい。そのほうがずっと豊か
な人生になる。こんな本が売れていて、4刷になるという。「編集手帳」が誉
めたてたのは身内の商売だったからなのか。           (柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4120041875/dgcrcom-22/ >
→アマゾンで見る(レビュー3件)
< http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20110908-OYT1T01167.htm >
読売 編集手帳 9月9日 さすがにうまい!

・予約しておいた「KBC-L54D」が届いた。モバイル機器をUSB2系統充電ができ
る。以前この後記で書いたら、震災時に役立ち、それから持ち歩いているとい
う話をしてもらって、私も忘れず持ち歩こうと決めた。朝から外出すると、夜
には電源が勝手に切れているiPhone。2年間毎日フルで使い続けていたし、裏
で動かしているタスクが多かったり、GPS使っていたり、外でもWi-Fi切るの忘
れてたり、メールの着信をBoxcarで知らせるようにしていたりと、電池が保た
ない。モバイルブースターの新製品が出るというので買うことにした。届いて
最初に思ったのは、142gなのに重いなぁと。iPhoneにカバーつけて181gなのに、
モバブーの方が重く感じるのは、見た目が白くて軽そうに見えるからかもしれ
ない。                         (hammer.mule)
< http://panasonic.co.jp/sanyo/news/2011/07/21-1.html >  KBC-L54D

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発行   デジタルクリエイターズ < http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/ >

編集長     柴田忠男 < mailto:shibata@dgcr.com >
デスク     濱村和恵 < mailto:zacke@days-i.com >
アソシエーツ  神田敏晶 < mailto:kanda@knn.com >

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