2011年10月21日金曜日

日刊デジクリ[#3137] 死に臨んで望むこと

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【日刊デジタルクリエイターズ】 No.3137    2011/10/21.Fri.14:00.発行
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    《オリジナル曲「GrowHair のテーマ〜茶巾寿司は永遠に」》

■映画と夜と音楽と…[519]
 死に臨んで望むこと
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![140]
 アイドルへの道は険しい
 GrowHair

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■映画と夜と音楽と…[519]
死に臨んで望むこと

十河 進
< http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20111021140200.html >
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    〈戦争と平和/アンナ・カレーニナ/終着駅・トルストイ最後の旅〉


●「この本は読めん」と判断した「戦争と平和」

僕の手元に河出書房から出版されたキャンパス版・世界の文学「戦争と平和」
の一巻と二巻がある。一巻が1967年12月20日、二巻が1968年1月20日の出版に
なっている。三巻は2月に出たのだろうが、僕は持っていない。全三巻だった
のに、二巻まで買ってやめてしまったのだ。その理由は、たぶん「この本は読
めん」と判断したからだろう。

定価290円でも、その当時の僕にとっては大きな出費だった。高校二年生であ
る。財力はないし、その長大な小説を読む根気もなかったのだ。それでも、そ
の本を買ったのは、リュドミラ・サベーリエワのナターシャが口絵の数ページ
に掲載されていたからだ。1965年から67年まで、3年間にわたって旧ソ連で制
作された超大作「戦争と平和」のヒロインだった。14歳から17歳までの3年間、
僕は毎年「戦争と平和」を見ていた記憶がある。

日本で第一部が公開されたのは、1966年7月である。中学三年生の夏休みだっ
た。文部省推薦の割引券を持って僕は映画館に並んだ。オードリー・ヘップヴ
ァーンがナターシャを演じた「戦争と平和」(1956年)は、テレビでズタズタ
にカットされたトリミング版を見たことがあったが、ソ連版は原作の完全映画
化を謳い、結果的に7時間を超える大作になった。

主要な登場人物がアンドレイとピエールだというのは知っていた。オードリー
版ではアンドレイはヘンリー・フォンダ、ピエールをメル・ファーラーが演じ
た。撮影当時、メル・ファーラーはオードリーと結婚していた。いや、僕が
「戦争と平和」を見た頃、まだふたりは夫婦だった。僕は、メル・ファーラー
の変な顔を見て「なんで?」と思った。僕は美女は美男子と結ばれるべきだと
信じていたのである。

ソ連版「戦争と平和」でもアンドレイはキリッとしたいい男が演じていたが、
懐疑的なインテリ青年のピエールは監督自身(セルゲイ・ボンダルチュク)が
演じ、かっこいいところはどこにもなかった。丸い眼鏡をかけ、太り気味のピ
エールは思索的ではあったが、まったく行動的ではなく、うじうじと悩み続け
るだけの男だった。10代半ばの少年が共感できる人物ではなかった。

キャンパス版・世界の文学「戦争と平和」が出た1968年の暮れ、ソ連版「戦争
と平和は」すでに物語の半分以上は公開されていたと思う。公開作は、冒頭に
それまでの物語のダイジェストがまとめられていて、前作を見ていなくてもと
りあえずわかるようになっていた。公開までの間が開いていたので、それは助
かった。ダイジェストを見ると、それまでの物語が甦った。ダイジェストを見
て「一部の頃のナターシャは、本当にまだ少女だったのだ」と僕は思った。

当時のソ連のことは五木寛之さんの「さらばモスクワ愚連隊」などを読んで想
像していたが、依然として東西対立は続いていたし、ベトナム戦争を始めとし
て共産主義と資本主義の代理戦争は世界中で起こっていた。そんな時代だった
から、僕はソ連が「戦争と平和」を制作したことや、それが日本で公開される
ことに何となく違和感を感じてもいた。

ソ連の女優であるリュドミラ・サベーリエワが日本でも人気が出て、映画雑誌
のグラビアに登場したときは、さらに違和感を強くした。社会主義国の女優を
アイドルのように扱ってよいのか、という奇妙に真面目な思いを抱いた。ハリ
ウッド女優のような憧れの対象とすることに心理的なブレーキがかかったのだ。
それでも、僕は清純なナターシャの澄んだ瞳が忘れられず、キャンパス版・世
界の文学「戦争と平和」を二巻まで買ったのだった。

●冒頭の文章だけは多くの人が知っている「アンナ・カレーニナ」

「アンナ・カレーニナ」の冒頭の文章「幸せな家族はどれもみな同じようにみ
えるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳・光文社古
典新訳文庫)はあまりに有名で、僕もその部分は早くから知っていたが、実際
に「アンナ・カレーニナ」を読んだのはずいぶん後だった。

大学生の頃にロシア文学を読もうと思い集中して読んだことがあり、おそらく
そのとき一緒に読んだのだ。プーシキン、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、
ゴーゴリ、チェーホフ、それにトルストイである。トルストイについては、と
うとう「戦争と平和」が読めなかったという負い目が僕にはあった。だから
「アンナ・カレーニナ」を読み始めたらやめられなくなり、一気に読み切った
とき、僕は達成感を感じたものだった。

同時に「アンナ・カレーニナ」の素晴らしさが身に沁みた。読了後の印象は、
今でも鮮やかだ。世界を見る眼が確実に変化した。「嵐が丘」「アンナ・カレ
ーニナ」「白痴」「フラニーとズーイー」「情事の終わり」「個人的な体験」
「海辺の光景」「枯木灘」「忘却の河」…、そんな経験をさせてくれた本は、
アト・ランダムに挙げてもそんなには浮かばない。

書物によって精神的に成長するということがよく言われるが、「アンナ・カレ
ーニナ」を読み終わった僕はそれを実感した。僕は「アンナ・カレーニナ」を
読むことで、読む以前の僕とは確実に違う人間になった。どう違うかは具体的
に説明できないが、それは精神の深い部分での体験だったのである。「ドスト
エフスキー体験」とはよく耳にするが、同じように「トルストイ体験」もある
のだと思う。

「アンナ・カレーニナ」は長大な小説だから、映画化されるときにはアンナと
ヴロンスキーの不倫物語を中心に描かれることが多い。しかし、「アンナ・カ
レーニナ」はアンナとヴロンスキーの物語であると同時に、理想主義者である
青年地方地主リョーヴィンと純情な美女キチイの物語でもある。キチイに振ら
れたリョーヴィンが領地に戻り、小作人たちと農作業に励んで心の傷を癒そう
とするシーンは、今思い出しても鮮やかだ。

「アンナ・カレーニナ」はヴィヴィアン・リー版(1947年)とソフィー・マル
ソー版(1997年)を見たことがある。改めて調べると、制作時期に半世紀の隔
たりがあった。ヴィヴィアン・リーの「アンナ・カレニナ」(公開時のタイト
ル)は、ラストの鉄道自殺のシーンをよく憶えているが、ソフィー・マルソー
の「アンナ・カレーニナ」はヴロンスキーと一緒に暮らしている何でもないシ
ーンが浮かんでくる。

ヴィヴィアン・リーもソフィー・マルソーも時代を代表する美女だが、タイプ
はずいぶん違う。スカーレット・オハラの印象が強く、ヴィヴィアン・リーに
はどうしても「激しい情熱」を感じる。アンナのイメージとしては、ソフィー
・マルソーの方が近いと思うけれど、映画を見たときの印象では高貴さが足り
なかった。そのため、ダメ男ヴロンスキーを愛してしまったアンナの精神的な
悲劇が、下世話な痴話話になってしまった。

●トルストイの葬儀には一万人もの人が集まったという

「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」と世界的な名作を書いたトルストイに
ついては、ほとんど知識がなかった。生年も死亡した年月日も知らなかったし、
漠然と昔の作家だと思っていた。ただ、80を過ぎて家出をし、駅で死んだこと
は知っていた。悪妻に愛想を尽かしたのだと、誰かが書いていた記憶がある。
だから、僕は世界的作家トルストイは、最期に野垂れ死んだのだと思っていた。

それは、まったくの誤解だったと「終着駅・トルストイ最後の旅」(2009年)
を見てわかった。調べてみると、当時のトルストイは世界的な思想家であり、
ロシアの人々からは聖人と慕われるような存在だったらしい。多くの崇拝者が
いて、非暴力と平等や禁欲を提唱するトルストイ主義に共鳴する人も多かった。
彼の葬儀には一万人もの人が集まったという。

有名人の葬儀には多くの人が参集する。石原裕次郎の葬儀のときの弔問客の多
さを記憶していたので、調べてみたら3万数千人だったという。最近の記録で
は、ある自殺したミュージシャンのときには5五万人を超える人が弔問に訪れ
たという。情報があふれ、簡単に移動できる交通機関が発達した現在だからこ
その数字だ。鉄道は通っていたが、100年前の広大なロシアである。一万人も
の人がトルストイの死を悼んで集まったのは、崇拝、尊敬といった気持ちから
だったのだろう。

映画は、トルストイの秘書になった青年ワレンチンの視点で語られる。彼は後
に作家になり1960年代半ばに亡くなったと映画の最後でクレジットされる。23
歳の彼はトルストイに心酔し、禁欲的で非暴力主義である。彼はトルストイ主
義を広めようとしているトルストイの盟友チェルトコフによって面接を受ける
が、そのときチェルトコフはトルストイの妻ソフィアの言動をメモしておくこ
とを命じる。ワレンチノは、モスクワからトルストイ伯爵の領地へ向かう。

ワレンチンを演じているのは、ジェームス・マカヴォイだ。「つぐない」(20
07年)で魅力的な演技を見せた繊細な俳優である。ワレンチノはトルストイ主
義に共鳴する理想家肌の青年だから、禁欲を実践しまだ女性を知らない。シャ
イで理知的で、世間知らずで…といった役だから、ジェームス・マカヴォイに
はぴったりだった。とまどいや一瞬のためらいといった、細かい感情を視線の
演技で表現する。

トルストイの領地には、トルストイ主義に呼応した人たちがコミューンを形成
し、そこで農作業に従事している。しかし、宿舎の監督官は堅物で、その堅物
をからかう奔放な元教師の美女マーシャがいる。マーシャは到着早々のワレン
チノを誘惑し、その禁欲主義を嗤う。コミューンの主宰者チェルトコフや宿舎
の監督官は、どちらかといえば教条的にトルストイ主義を信奉する頭の堅い人
々のように描かれる。

●トラップ大佐とエリザベス女王が演じたトルストイ夫妻

「終着駅・トルストイ最後の旅」というタイトル通り、映画は最晩年のトルス
トイを描く。演じるのは「サウンド・オブ・ミュージック」(1964年)のトラ
ップ大佐ことクリストファー・プラマーだ。新潮文庫の「アンナ・カレーニナ」
のカバーはトルストイの写真が使われているが、そっくりにメーキャップして
いる。白く長いあごひげ、禿げた額、それだけで似てはくるのだが、キャリア
の長いプラマーには大作家の趣がある。

世界三大悪妻と言われている妻のソフィア(他の二人はソクラテスの妻とモー
ツァルトの妻)は、エリザベス女王を演じてアカデミー主演女優賞を獲得した
ヘレン・ミレンである。この映画、ヘレン・ミレンが主役のように目立ってい
る。ヒステリックで、暴力的で、ときに可愛さを丸出しにして甘え「あなたの
ために13人の子供を産んであげたのよ」と感情的になったり、父親に味方する
末娘には「兄の代わりにあなたが死ねばよかったんだわ」とまで激高する。

ソフィアはトルストイ協会の幹部であるチェルトコフにそそのかされたトルス
トイが、財産や自作の著作権を放棄するのを怖れている。チェルトコフはトル
ストイ作品は民衆のものだと主張し、世界中にトルストイ主義を広めようとし
ているのだ。チェルトコフをあしざまに言うソフィアに「彼は大切な友人だ」
とトルストイは諭す。しかし、ソフィアは「あなたは私たちを貧窮の底に落と
そうとしている」と喚きたて、トルストイの遺産を守るために取り巻きたちを
排除しようとする。

元来、トルストイは伯爵で広大な領地を持ち、多くの小作人(農奴)を使用し
ていた。私有財産を否定するトルストイは彼らの待遇を向上させたり、小作人
に農地を分け与えたりしてきた。平等と博愛主義をトルストイは実践してきた
のだ。そして、死に臨んで財産や自作の著作権を放棄しようとしている。その
頃のトルストイは、小説家以上のものになっていたのだろう。思想家であり、
宗教家であり、トルストイ教の教祖だったのかもしれない。

そんなトルストイとソフィアを、ワレンチノは冷静に見ている。彼はマーシャ
と寝ることで柔軟性を獲得し、トルストイ主義一辺倒だった石頭ではなくなっ
たのだ。だから、彼の目にはトルストイの言動の過激さも、チェルトコフの打
算や政治的な行動も、悪妻呼ばわりされるソフィアの悲しみも見えるのだ。ワ
レンチノという視点を設けたことで、ソフィアは悪妻と言われるだけの存在で
はない奥深さを獲得した。ソフィアの人間らしさが描かれる。

しかし、トルストイは妻に愛想を尽かし家出をする。といっても荷物を拵え、
娘も秘書も主治医も一緒だ。そして、途中の駅で具合が悪くなり肺炎を起こし、
駅長室を借りて寝付く。「トルストイ倒れる」の報は世界に発信され、多くの
記者たちがやってくる。その駅長室で一週間、病の床につき、そのまま臨終を
迎えるのだが、そこへやってきたソフィアを取り巻きたちが会わせようとしな
い。ソフィアが自分に都合のよい遺言を引き出すことを怖れているのだ。

●著作権を受け継いだ数年後にソフィアも死んでしまう

やれやれ大変だな、と僕は思った。これで心穏やかな死をトルストイは迎えら
れるのだろうかと思って見ていたが、最後にはソフィアに看取られて息を引き
取る。さすがに、最後の息をし始めたトルストイに妻を会わせないわけにはい
かなかったのだろう。トルストイの死に取り乱すソフィア。長く連れ添った夫
婦には、ふたりだけの心のふれあいがあり、感情のもつれがある。

映画のラストに出るクレジットで、結局、著作権はトルストイの死の数年後、
ソフィアが受け継いだことが知らされる。死んでいく本人に財産は必要ないが、
生き続ける人間にとっては財産はあればあるほど役に立つ。だから、ソフィア
は固執した。しかし、著作権を受け継いだ数年後にソフィア自身も死んでしま
う。死に臨んで彼女は何を望んだのだろうか。

おそらく、財産がある人間が死ぬときには、似たような話が古来からずっと続
いてきたのだろう。古今東西のミステリを分類したわけではないが、遺産争い
を動機にした殺人事件はかなりの数が書かれているのではないか。「犬神家の
一族」を始め、横溝正史の小説はほとんどがそうだ。もっとも、大した財産も
なさそうな人が死んでも相続争いは起こる。

僕は、遺産を当てにするような人間にだけはなりたくないと思ってきた。大学
を出るまでは多少の仕送りはしてもらったが、もう40年、自分で稼いだ金だけ
で生きてきたし、多少の蓄えも作った。くれるという遺産を拒否するつもりは
ないけれど、それは宝くじのようなものだ。当てにしていなければ、固執する
こともない。そう思うようにしている。

一方、中途半端な子供たちの生き方を見ていると、危うさばかりを感じる。最
近、僕が死んだらこの子たちはどうするのだろう、としみじみと顔を見ること
が増えた。順当にいけばまだ半世紀は生きる息子と娘は、今のような半端な生
き方をしていると泣きを見ることになるのではないか、と心配になる。そう考
える反面、もういい大人なんだから放っておけという声がする。死に臨んで僕
が望むことは、子供たちが安心させてくれることだが、それは叶わぬ望みかも
しれない。

トルストイは死に臨んで何を望んだのだろう。世界人類の幸せか。トルストイ
主義の浸透か。世界から争いがなくなり、格差がなくなり、人々が平等に暮ら
せる世界の実現だろうか。家族のことは考えなかったのだろうか。1910年11月
20日、トルストイは82歳で永眠した。駅長室で死んだ世界的大作家は珍しいが、
その駅は今では「トルストイ駅」と命名されているらしい。共産党独裁のソ連
時代でも、トルストイの評価は高かったのだ。

トルストイの家出と駅での客死を思うと、「幸せな家族はどれもみな同じよう
にみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」というフレーズは、
トルストイの身につまされた感懐だったのかもしれない。莫大な財産があって
も、トルストイは不幸だった…、そんなことも連想する。トルストイの死から
6年後の大正5年、夏目漱石が49歳で永眠した。40歳ほどの差はあるが、トルス
トイと漱石は同時代を生きたのだ。漱石の妻、夏目鏡子にも悪妻説がある。や
れやれ、偉大な作家たちの妻は大変だ。

ちなみに「戦争と平和」第一部で澄んだ瞳と(月並みな形容ですが)妖精のよ
うな儚さで僕を魅了したリュドミラ・サベーリエワは、数年後、イタリア映画
「ひまわり」(1970年)に出演し、ロシア女性の加齢による宿命的な変化には
例外がないことを証明した。要するに、10代の儚そうな妖精時代は過ぎ、肉が
付き始めていたのである。もちろん、まだ充分に美しかったけれど…

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

僕の住む地域は有名なホットスポットで、高い計測値が出ている。その中でも、
近くの公園の芝生から市内で最高値が出たらしい。仕方ねぇや…と老い先短い
僕は気にしないが、周囲は騒がしい。小さな子がいる人は気になるだろうし、
これから子供を産む人も気が気じゃないだろう。放射能雨が降り続ける「ブレ
ードランナー」的世界が現実になろうとは…

●第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」受賞!!
既刊三巻発売中
「映画がなければ生きていけない1999-2002」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2003-2006」2,000円+税(水曜社)
「映画がなければ生きていけない2007-2009」2,000円+税(水曜社)
●朝日新聞書評欄で紹介されました。紹介文が読めます。
< http://book.asahi.com/book/search.html?format=all&in_search_mode=title&Keywords=%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%91%E3%82%8C%E3%81%B0%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84&x=20&y=18 >

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■Otaku ワールドへようこそ![140]
アイドルへの道は険しい

GrowHair
< http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20111021140100.html >
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アイドルの卵たちのライブイベントに、ワタシも混ぜてもらえることになりま
したっ♪ 出演者のほとんどがリアル女子中学生・高校生です。ワタシも負け
じと、セーラー服を着てステージに立ち、裏声で歌います。可愛さで彼女らに
負けないこと、それがワタシのミッションです。今までもよく曲がる人生を送
ってきましたけど、ほんっと、何が起きるか分かったもんじゃないです。がが
ががんばりますっ!

●超ラッキー♪

ものすごく欲しくてたまらないものがあるなら、強く念じ続けていれば、いつ
か手に入る、という法則があるみたいです。そろそろ50歳に手が届こうかとい
うおっさんが、アイドルになりたいなんて乙女チックなこと夢見てるのはさす
がに多少無理があるかな、という気がしなくもないですが、いやぁ、何でも念
じてみるもんです。無理のありそうな道でも、開けるときは開けるんですな。
いやぁ、ラッキー。

ワタシが歌うのは一曲だけですが、オリジナル曲です。両脇にリアル女子高校
生アラレとリアル女子中学生愛菜(まな)を従えて、センターに立ちます。二
人はCGMというアイドルユニットです。未来学園CGMからやって来た魔法少女二
人組。

下北沢にある音楽スクール「ヴァロワヴォイス(Valois Voix)」で、去年の
4月7日(水)から1年半ほど、ワタシは歌のレッスンを受けてきました。もの
すご〜く上達しましたけど、始めた当初の状態というのが、小学生以来のコン
プレックスがようやくほぐれてきて、やっと人前で歌うことに抵抗がなくなっ
てきた、というまったくの初心者だったもんで、今でもやっぱり素人に毛が生
えた程度のもんではあります。

しかし、40代後半から新しいことを始めても、全然使ったことのなかった喉の
筋肉がちゃんと発達してきて、裏声が出せるようになったりビブラートがかか
るようになったりしてきたのは、ちょっとびっくり、感動です。

スクールのオーナーは奥井友康氏。作曲家でもあり、企業CM等の楽曲制作を手
がけた実績があります。米国ボストンのバークリー音楽院大学卒業後、ビクタ
ーの正社員として、ディレクターや講師を務めていました。ワタシを指導して
くださっているヴォイストレーナーは菅原久美先生。ソニーMEオーディション
特別賞受賞後、ソロ歌手として、ライブ活動し、CDを世に送り出してきた実績
があります。

今度のライブでありがたくも畏れ多くも、オリジナル曲「GrowHairのテーマ〜
茶巾寿司は永遠に(作詞/作曲・ちゃきら)」が初のお披露目となるわけです
が、奥井氏と菅原先生のご尽力によるところが大きく、大いに感謝している次
第です。

歌詞の中にもGrowHairが出てくるという、まさにワタシのテーマソングなわけ
です。カメコの歌です。被写体に萌え萌えしながら撮る歌です。軽快で、チャ
キチャキして、陽気です。どこか人を食ったようなトボケた可笑しさがあって、
それもなんちゅうか、ワタシのキャラがよく表現されています。ネオテニーも
出てきます。そこの振りは、ウーパールーパーのイメージです。そうそう、振
りつきなんです。それも前奏・間奏・後奏までほぼ間断なく動いてます。

一曲歌い終わると息はぜーぜー、汗はだらだらです。いや、客観的にみて、そ
れほど激しい振りって訳ではないんですが、まあ、普段ほとんど運動しないか
らこういうことになるわけですな。おかげさまで食欲増進、ここ2週間ほどは、
いつもの2割増ぐらいの勢いでもりもりばくばく食べてます。育ち盛りです。

ヴァロワヴォイスには歌だけでなく、ギターやフルートのコースもあり、生徒
さんはいっぱいいます。で、2〜3ヶ月に一回、生徒さんたち出演のライブイベ
ントを開きます。けど、今度のは、正確に言うと、ヴァロワヴォイスが主催で
はないのです。奥井氏は、もうひとつ、「ヴァロワアーティスト(Valois
Artiste)」という芸能プロダクションのチーフプロデューサーでもあり、ア
イドルを育てて世に送り出そうとしています。そちらが主催のイベントなので、
アイドル系のコたちだけで成り立たせようという趣向。それと、オーディショ
ン。アイドルになりたいと応募してきた人たちの、ステージ審査があります。

「枯れ木も山の賑わい」といいますけど、まあ、そんなようなもんで、「ドリ
フの聖歌隊における高木ブー的役割」と言って通じるかどうか分かりませんが、
そんな役割で、ワタシも出ます。ま、一言で言えば、超ラッキー♪ ってわけ
です。

●夢としてのアイドル追っかけから、現実の交際へという成長モデルの崩壊

Yahoo! に「知恵袋」というコーナーがあり、誰もが質問を投げかけることが
でき、誰もが自由に回答することができるようになっている。恋の悩みからパ
ソコンのトラブルまで、ありとあらゆる質問が寄せられる。そこに、「彼氏か
ら別れを告げられたたけど、理由に納得がいきません」というのがあった。

彼氏は異常なまでにAKB48が好きだけど、私は今まで文句や愚痴などまったく
言わず、コンサートやグッズ購入でお金がなくなっても「まあ好きなら仕方な
いよね」と応援する形で見守ってきた。自分からAKBのグッズをプレゼントし
たこともあった。なのに、ある日突然「今はもう彼女とか要らない。AKBだけ
に集中したい。本当にごめん。別れよう」と告げられてしまった。すごいショ
ックで、理由に納得がいかない。とりあえず今は距離を置いて彼氏の気持ちが
変わるのを待っているが、もう私のことなどまったく考えておらず、AKBのこ
としか頭にない。本当に苦しくて、テレビでAKBを見ると涙が出てくる、とい
うもの。

いやはや、まことにお気の毒。そこまで尽くしたあげく、「やっぱりAKBがい
い」と別れを告げられては納得いかないのはごもっとも。彼氏には「大馬鹿者!」
と言ってやりたい。回答もだいたいその線。その彼氏は「現実がみえてない」
「アナタにはもったいない」「自分の世界だけで生きている」「ただの腐れア
イドルオタク」とけちょんけちょん。処し方としてはおおむね「おっしゃるよ
うに、しばらく距離をおいてみるのが賢明かと。けど、戻ってくるかどうかは
難しいかも」という線だった。回答に対して質問者から「結局別れました」と
のコメントが入っていた。

この一件自体は、お気の毒さまとしかいいようがなく、結末についても、まあ
しょうがないと思う。彼氏大馬鹿者、とは私も思う。が、それはそれとして、
世の中で起きている現象として捉えたとき、気になることが2点ある。

まず、アイドルの追っかけという夢の追求とリアルな交際という現実との間で、
どっちをとるか、あるいは、両方とるか、という選択肢がある状態に置かれた
とき、後者を捨てて前者に走っちゃう「腐れアイドルオタク」が現実に生息し
ているということ(質問の投稿がでっちあげ〈いわゆる「ネタ」〉でないと仮
定して)。

それと、彼氏は「ピーターパン症候群」のような、精神的に成熟して大人にな
ることを拒否していて、いつまで経っても夢からさめて現実が見える大人にな
ることができないガキんちょとみる回答が多かったこと。これ、私には、なん
となく個人の価値観に世の中みんなが同調すべきだと要求する「決めつけ」の
ような香りがする。2点を一言で言うと「成長モデルの崩壊」である。どうい
うことかというと……。

たしかに、アイドルとは、中学生、高校生のときにハマるもの、と世の中から
みられてきたと思う。アイドルを追っかけるのは、現実の交際の練習のような
もの。たくさんいるアイドルの中から、「もし自分がつきあうとしたらこうい
うのがいいなぁ」と理想像を確立する過程。けど、それは決して手の届かない
ところに実る果実であって、現実に誰かと交際するようになれば、次第次第に
興味が薄れていくもの。それが成長というもの。

会社の同僚のK島氏の言うには「アイドルを追っかけたところでせいぜい握手
とかだろ? 現実に彼女と付き合えばそれ以上のあんなことやらそんなことや
らできるはずで、容姿は多少劣ったってそっちのほうがいいに決まってると思
うけど」と。どうしてサラリーマンってこういう非常に分かりやすいことをの
たまうエロオヤジが多いんだろう、ってのはさておき。

しかししかし、と私は思う。現実現実っていうけど、それって物理学者の捉え
る現実とは意味が違うわけで。11次元とか、ちょっと直観的には捉えがたい、
むしろ非現実的とも思える構造が、実は、より現実に近かったりするはずなわ
けで。それは、光速不変とか、二重スリット実験による干渉縞の現出とか、直
感的にはおかしいと思えるような現象が現実に観察されているから、物理学者
は整合性のとれた理論を打ち立てて、それに説明をつけないとならないことか
ら、そうなったわけで。(チョー単純化して言うけど)光速不変から相対論が
打ち立てられ、干渉縞から量子論が打ち立てられ、両者を統合しようとしたら、
また変なことが起きたので、仕方なく11次元の超ひものほうへ行っちゃったと
いうわけだ。

それはさておき「腐れアイドルオタクは現実がみえてない」という文脈での
「現実」とは、それではなくて、「生きていく上で、社会の仕組みを理解し、
自分を適応させること」「生活上の利便性」「損得勘定で生きていくこと」
「家庭を築き、子供を立派に育て上げること」ぐらいの意味でしょう。大人大
人っていうけど、それって、他者との関係を適当に良好に維持し、自分の立場
を守っていくことで、生活に安定性をもたらすこと、むやみやたらと見果てぬ
夢を追っかけ回さない自己制御がとれてること、ぐらいの意味なんでしょ?

でも、それなら、そこらで走り回ってたり飛んでたり泳いでたりのしのしうろ
つき回ってたりずるずる這い回ってたりじっとしてたりする野生動物だってや
ってることなんじゃないの? 人間が、野生動物が営んでいない文明を築き、
文化的な生活を送っているのは、現実よりも上のレベルでものを考える能力が
備わっていて、それをひたすら追求してきたからなのではないかと。

数学や物理学が発展をとげたのは、現実の生活の利便性の向上を狙ったからで
はなく、宇宙万物のメカニズムを理解したいという動機があって、抽象的な理
論体系を追い求めてきたからである。実生活への応用は副産物なのだ。

プラトンのイデア論のように、今見えている現実の向こうに、抽象レベルの理
想像があるはずだ、とする指向、仏教の西方浄土みたいなもんと言ってもいい
かも。現実に観察することのできるごちゃごちゃした現象から、もろもろの雑
音を捨象し、抽象レベルでエッセンスを絞り出したいとする願望。この動機こ
そが、人類を進歩発展させてきたのではあるまいか。と考えると、生活レベル
の現実に適応するのが大人で、アイドルを追っかけ回したりして理想を追うの
はまだまだ子供、とする成長モデル自体、そもそもどうなのかなぁ、と思えた
りするわけで。

まあ、ハッキリ言っちゃうけど、野生動物レベルの現実適応性を備えたぐらい
のことで、アイドル追っかけを低くみたりする資格を獲得できたと思うことが
できるということへの、根拠ってどの程度のもんなんでしょうか、と。まあ、
家のことを立派に切り盛りしていくのは、それなりに大変なことだろうと思う
し、誇っていいことだとは思うけど。K島氏のように、女とヤレることをもっ
てリア充的な優越性を主張されてもちょっと困るなぁ、と。そういうのに背を
向けて生きる人が私一人だけではなく、「現象」と呼べるほどまでに世の中一
般に現れつつあるのだとしたら、「成長モデルの崩壊」が起きているのではな
いかと思うわけである。

ネオテニーとは、一見、成長の拒否、退行のようにみえて、実は適応可能環境
の領域を広げ、種の保存の確率を高める、進化のストラテジーだったりするわ
けだ、っていうのは以前に書きましたね。そういう私は48歳にもなってセーラ
ー服を着てキャピキャピ言っているわけで、こういうふうに生きたほうが、よ
り高級なレベルに上がれるぞ、と言ってみたところでどれほどの説得力がある
かは、まあ、さておき。

うん、ごめん。今回は「さておく」ことが多い。自分を上げとく棚がいっぱい
必要だ。まあいいや、ここまで言っちゃったなら、ついでにもう一言「私のよ
うな生き方をモデルとして生きれば、あなたもシアワセになれますよ」と教祖
様のような調子で言っておきましょうか。

●商業主義に踊らされているだまされやすい人たちなのか

アイドルに入れ込むのはリアルな恋愛への準備体操のようなもの、というのは
一般論であって、私の場合はそうではなかった。今はAKB48の勢いがすごいけ
ど、それにもかかわらず私の中では'70〜'80年代がアイドル全盛期として捉え
られている。私が中学高校時代を過ごしていた時期で、以前にも書いたけど、
倉田まり子と石川ひとみは似てないと叫び続けて青春時代を走り抜けた。

級友は、雑誌に倉田まり子の写真が載っているのを見つけると切り抜いて持っ
てきてくれたりした。「有効に使ってくれ」とか言いながら。なんだよそれ?
親までもが、テレビに倉田まり子が出てるとわざわざ知らせてくれたりするの
だが、見てみれば石川ひとみだったりして、けっこうムカついたりした。いや、
石川ひとみもかなり好きではあったけど、それぞれいい個性をもっているにも
かかわらず、混同されがちな点が腹立たしかったわけで。

当時、アイドル系の雑誌に「明星」と「平凡」があり、どっちだったか忘れた
が、倉田まり子が日出学園に通っているという情報が載っているのを見ると、
杉並区から目黒まで自転車で見に行ったりした。本人を、ではなく、学校を。
それだけでけっこうドキドキした。ストーカーかいね?

なので、駿台予備校市谷校舎で浪人しているとき、シャープのショールーム1
階の(当時)スタジオにラジオの収録に来ていた倉田まり子さんご本人と握手
できたことは、今でも、私の人生の頂点だったのではないかと思っている。さ
て、そんな私ではあったが、私にとってのアイドルとは、つきあう相手として
の理想像ではなく、自分がなりたい理想像であった。

なりたいけど、その願望は無茶すぎてとうてい実現しそうにないことだから、
しかたなく、自分のできる領域でがんばろう、と励みにしていた。いわゆる
「元気をもらう」という感じ。アイドルになり、その人気を維持するためのが
んばりは並大抵でないのが伝わってくる。そのことに深く敬意を抱いていた。

一般的に言って、アイドルにはふたつの素養が必要だ。歌が上手いことと、可
愛いこと。両方なくては成り立たないけど、'70年代から'80年代にかけて、力
点は前者から後者へと移行していった。それはまあ、可愛ければ歌はどうでも
いいじゃん、と、視聴者の側が選択した結果なのかもしれないけど。本業が女
優の若いタレントが、おそらく知名度アップを狙ってあまり上手くない歌を歌
わされたり、ポストキャンディーズを狙う3人組アイドルグループが濫造され
たのはまだ許せるとしても、素人っぽい大集団によるアイドルグループが出て
くるに至っては、こっちがなんだか白けてしまって、アイドルからもテレビか
らも興味が離れてしまった。

広く捉えれば、熱い時代から冷めた時代へと移行している時期でもあった。思
い出すと、'70年代って、みんながみんな、付和雷同的だったように感じられ
る。駅の階段などで、電車が来てもいないのを承知でわざと走ったりすると、
後ろを歩いている赤の他人たちが、みんなこぞってついて走る。で、ホームに
ついたとき、「ただちょっと運動してみたい気分だった」というふうに柔軟体
操なんかすれば、みんな「やられた」って顔するのが面白い。そんないたずら
が成り立った。今はたぶん、誰もついて来やしない。

その後、時代は冷めていき、シラケ時代に突入したとか、若者が無気力無関心
になったとか、よく言われた。何かに夢中になって熱くなっているよりも、裏
の裏まで見透かしたような風情を装って冷めたコメントを放つほうがカッコい
い、みたいな空気になってきた。そんな時代の流れで、アイドルに夢中になっ
ていることに対して、冷ややかな調子で馬鹿にする人はけっこういた。いわく、
商業主義に踊らされているだけの、かわいそうなやつら、とか。

そう言う人たちによると、アイドルに夢中になる人たちというのは、アイドル
に着せられた純真無垢というイメージを、実生活においてもそうであると素直
に信じちゃってる、カワイソウな人たち、ということになる。芸能界の舞台裏
なんて、ホントはすげー汚くて、実生活でも清純な芸能人なんてどこにもいや
しないっていうのに、作られたイメージにコロッとだまされちゃうなんて、お
めでたいやつだなー。俺は、裏の現実が見えてるから、馬鹿みたいに一心不乱
に応援しまくるファンみたいな子供っぽい振る舞いはとうていできないね、ふ
ふん、みたいな調子。

自分のことを言われているのだとしたら、なんかズレてる、とは感じた。けど、
冷めた目で批判する人たちは、アイドルファンのメンタリティを真剣に理解し
ようとして、そういう人をつかまえていろいろ聞いてみる、という努力をして
みるわけでもなく、そもそもそういう動機はなく、自分で作り上げたフレーム
(枠)の中に、無理やりアイドルファンを押し込めて、侮蔑的な目を向けてい
るだけのように思えた。作られたイメージに踊らされているのはいったいどっ
ちだい? と。けど、よく理解しようという動機もない人に対していちいち真
面目に反論するのも面倒くさく、言わせておくだけだったなぁ。

冷めゆく時代にあっても、何かに熱くなりたい、熱くなれる人たちはいるわけ
で。よく分かっていないし、分かろうともしていない外野からズレた批判を浴
びせられていちいち反論するのも面倒くさいので、自分の嗜好を積極的に人に
言ったりしなくなっていくのは自然な流れだと思う。ひた隠しにするわけでも
ないけど、聞かれなきゃわざわざ自分から言うこともない、という消極的隠蔽。
かくて、熱い人たちと冷めた人たちとの間では、コミュニケーションが遮断さ
れ、生活圏は近くても、情報の流通においては分断されていく。こういうふう
にして「情報の流通のセグメンテーション化」が自然に起きていくのだと思う。

アイドルとファン個人との関係性についてはそんな感じだが、社会とアイドル
の関係性については、どうなんだろう、とも考えてみる。東京消防庁が、平成
23年春の火災予防運動のポスターに、AKB48から派生したユニットである「フ
レンチ・キス」をモデルとして起用した。火の用心とフレンチキスとの関係に
ついて考えようとすると、迷宮に入ってしまいそうだが、ポスターとしては悪
くはなかった。掲載期間が過ぎたら、頼めばもらえたりしないかなぁ、と頭を
よぎったりしたくらい。

つまり、アイドルというのは、社会にとって必要とされており、存在意義が認
められているからこそ存在しているはずなわけで。それって、いったい何だろ
う、というのは、今考え中なので、なにか思い至ることがあれば、あらためて
書いてみようと思います。

●鋭意練習中、というかヤバい

そういうわけで、がんばって練習してます。はなからあきらめていたアイドル
になりたいという夢、現実の活動として、向こうからこっちへ近づいてきまし
た。これは、普通に考えるとちょっとありえない、大変なことだと思います。

しかも、今回、GrowHairをテーマとするオリジナル曲がいただけたので。私が
がんばらなければ、他の人ってわけにはいかないのだ。なのになのに、練習が
ぜんぜん間に合ってない。前代未聞のヤバい状況。土曜が本チャンで、今日が
水曜だっていうのに、いまだに振りがうろ覚え。一回通しで歌うと、どっかで
必ずミスをするレベル。おいおい、練習でその調子じゃあ、本番でアガったり
なんかすれば、頭の中が真っ白白になるぞぃ。

それと、振りを完璧にしておかないと、歌のほうがおろそかになり、上の空み
たくなっちゃうぞ。元気いっぱいのムードだって出せないし。やばいやばいや
ばい。時間ないけど、がんばってがんばってがんばって、ラストスパートで巻
き返します。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。あと、眼鏡を新調しました。フレームが赤の、小さいやつ。ホントは、
それもセーラー服を着て買いに行きたかったんだけど、ちょっと時間がなく。
でも、そうしたほうが分かりやすかったに違いない。ステージ用だと言い訳し
てるのに、お店の人はなかなか理解してくれなくて。両目の中心間の距離を測
らないといけないので、ご本人を一度連れてきてくれませんか、と。だから、
ご本人なんです、ってば。

そのイベントの情報です。
10月22日(土)11:00開場 11:30開演〜14:30 (午前からです、ご注意!)
場所:渋谷 TAKE OFF7
VALOIS Artiste presents...
パラシュートで降りたパリ@渋谷TAKE OFF7
女性アイドル&アーティスト・イベント
前売/当日:2,000円+D
出演・ヒカリ、アラレ、愛菜、中谷一恵、GrowHair、
VALOIS Artiste オーディション、CGM、HONEY ANGEL mayu
< http://www.ness2000.com/ > 音楽スクール「ヴァロワ・ヴォイス」
< http://kox-radio.jp/to7-top.html > 渋谷 TAKE OFF 7
< http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20101022140100.html >
以前に書いた、ネオテニーのこと

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■編集後記(10/21)

・本の雑誌と日経おとなのOFFで、2011年上半期ベスト10の第1位に選ばれて、
「2011年の大本命! 驚愕の面白さ!!」だというんだから読むしかないだろう。
590ページもの長編SF冒険小説、高野和明「ジェノサイド」である(角川書店、
2011)。コンゴの熱帯雨林に人類を絶滅に追い込む新種の生物が出現した、と
いうイントロは期待度満点だ。この小説はスケールの大きな謎解きと脱出劇が
あいまって進行する、見事なエンターテインメントだ。敷かれた伏線も有効で、
予想できないスリリングな展開にワクワクした。一気読みは無理だったので、
三日読みで非常に満足。ただし、この作家は日本と日本人が大嫌いらしい。日
本人傭兵は「誰からも愛される事のなかった、憎悪に染められた生涯」を無残
なかたちで終わらされる一方、韓国人研究者にはこの上ないおいしい役を配し
ている。唐突に関東大震災直後の朝鮮人殺害事件を持ち出し、「日本人の怖さ
は日本人には分からない」「愚かな先祖を持つと末代が苦労する」と主人公の
一人の日本人に言わせ、アフリカ内戦の残虐な殺戮を描写して「南京大虐殺の
際に日本人が中国人を相手にやった手口だ」と解説したり、ストーリーとは無
関係の異様な自虐史観を披露する。無意味で愚かな行為だ。それはほんのわず
かな分量だが、喉にささった小骨のごとく、読んでいる間中ひっかかっていて
不快だ。そこがマイナスポイント。惜しかったな。作家のお好きな史観は別の
作品で、それを主題で存分におやりになったらいかがでしょうか。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4048741837/dgcrcom-22/ >
→アマゾンで見る(レビュー122件)

・ボイトレしたら、今からでも喉は鍛えられるのか。近所にないかな。声質が
変わってきているのがわかる。腹式呼吸できてなくて普通ボリュームの声(大
声は望まない)が出ない。お腹から声が出るのは笑う時だけ……。/打ち合わ
せがあるため、テーブル上のDMやカタログ、チラシなど大量のものを、えいや
っと別の部屋に放り込んだ。ま、なんてスッキリ! 見た目だけでなく、気持
ちもスッキリ。家人もご機嫌。これらのものは主に郵便受けに届くもの。請求
書関連はすぐに開封して綴じるが、カタログ類やそれらについているクーポン、
いずれ何らかのアクションが必要でリマインダー代わりに置いておくものなど、
ついつい放置気味。普段、捨てることを考えてしまって消耗品以外はなかなか
買わないのだが、いくら自分が買わなくても、届くものはどうしようもない。
これでもだいぶシステム化していたのだが、忙しくなるとついそのシステムが
崩壊し、一度崩れると戻すのに手間がかかる。手間がかかるもんだから、後回
しにし、溜まり腐っていく。その溜まりを少しでも減らすために、DMの個人情
報類をすぐに破棄するための45リットルゴミ箱並みの大型シュレッダー購入し
たこともある。これが「後でまとめて破って捨てる」だと、ボトルネックにな
る。休日にまとめて、なんて、いつ休みがとれるかわからないし、とれても片
付ける気力や体力がないことも多い。ルンバを買った理由もそれで、休日にま
とめて掃除なんて無理よ〜、常日頃からやっとかないと、である。Toodledoを
使ってのGTDは、定期レビューしないから信頼性がなくて(だから規則正しい
生活やって定期レビューの時間を……)、リマインダー代わりに「目の前にや
ることを置いておく」なのだし、たとえレビューしていたとしても、その「後
で出番のあるもの」の置き場を決めていないから、ついテーブルの上なのだ。
                            (hammer.mule)

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